洗脳

 六月から開催されていたアイススケートショーにボーカルとしてXJapanのToshiさんが出演していて、スケーターたちとの素晴らしいコラボに私は感動して見ていました。紅(くれない)を歌っていた頃の激しいビジュアルのパフォーマンスが印象深い私にとって、サングラスとロック調の衣装と薄化粧のToshiさんは穏やかでマイルドで別人のようにみえるのですが、歌声は今まで以上にに素晴らしいものでした。

 特に羽生選手とコラボした二曲は別次元のパフォーマンスで、Toshiさんの全曲を聞き込んだという羽生選手がToshiさんの内面に入り込みエネルギーを使い果たすまでそれを演じるとコメントしていたのですが、彼はToshiさんの書いた「洗脳」という本も当然読んだでしょうというファンのブログのコメントが気になり、あとで図書館で借りて読んでみました。最近は本はアマゾンで買うことが多いのですが、この本はどうしても買いたくない気持ちが強くて、借りて読んでその内容の汚さに気持ちが悪くなりました。

 Toshiさんが世界的に認められたXJapanのボーカルとして活躍しているとき、肉親との金銭的トラブルや軋轢に苦しんでいて、その時巧みにすり寄ってきた宗教団体にどっぷりはまって逃げ出せなくなり、暴行を受け働かされ十何年過ごし、やっと脱出してきた経緯を赤裸々に綴った本なのです。これだけナイーブなシンガーでずっと頂点で歌い続けていただけだから、世の中の醜さに対し敏感に反応しすぎて自分を卑下し悩み、泥沼にはまってしまったのかもしれませんが、一番驚いたのはそのひどい宗教団体の幹部が放つ罵りの言葉のひどさでした。相手の身体的欠点を嘲笑する言葉を読んでいて、義母に悪口や非難を言われ続け、精神的に参ってしまった経験があるだけに余計身に染みました。

 90歳になったその義母が記憶力がなくなり始め、どんどん混乱しているありさまを見ていて、人を悪し様にののしる人たちの愛のない末路は自分がその毒にやられてしまうことなのだと分かった時、手塚治虫のブッダのある場面を思い出しました。ブッダを憎みありとあらゆる方法で殺そうとしてうまくいかなかった男が、毒針でブッダを刺そうとして誤って自分を刺しその毒で苦しみ死んでいくというものでした。憎むということも一つのアクションだし、人を愛するということも同じアクションであればどちらを選択するかというのも初めから持っていたことなのかもしれません。苦しんで傷ついたToshlさんは何とか立ち直り、裸一貫になってしまったけれどあふれんばかりの才能はますます磨かれ、そして今回のアイスショーでも素晴らしい才能を見せてくれました。それに反応した羽生選手はスケート一筋でまだ若いのにも関わらず苦しみ抜いたToshiさんの内面に入り込み、自分の力がなくなるまで何かを表現しつくし、それを見たToshiさんはただ泣いていたというのです。こんな人見たことがない、Toshiさんは自分のブログに羽生選手のことこういう風に書いているのですが、羽生選手のスケート見ていて救われる人たちはファンを含め本当にたくさんいます。Toshiさんの例はリアルタイムでその様子がわかってより感動的なのですが、この混迷の世の中、経済も政治も地球環境も混乱を極め、末期に近づいている気配が漂う中でどういう気持ちで生きて行けばいいのか、子供たちをどう見守ればいいのか切羽詰まった状況で自分がすべきことをひたすら考えています。

 作家の東山彰良さんのエッセイ読んでいたら、うだつが上がらない生活送っていて、ただ文章を書いて作品を書きたいという思いだけで小説書き続けていたのだけれど、自己嫌悪や劣等感が言葉を磨いてくれることに気づけたのは幸いだと書いていました。生きてさえいれば、頭の中でせめぎ合っている新しい言葉を吐き出すことが出来る、そうすれば私は人生に対して少しだけ優しくなれる。いろんなことがよくわからず生きているのですが、苦しみには苦しむなりの理由があるし、その解決のためには思ってもみないような出会いや歓喜があるのだとしたら、やはりただ黙って進んでいけばいいのかと思っています。