ヨコガオ

 写真の横顔の美しいミシガンの看護師さんは、おととい着物着て柴又へいき、沢山の方に「綺麗ね」と声をかけられ、写真一緒に撮ろうとか、見ていてうれしくなるとか絶賛されていました。本人もびっくりしていたのですが、この菊が大胆に咲き乱れている綸子模様の着物は、私が結納の時着たものです。着物が好きだった父が他界してから決まった結婚だったので、一人でデパートへ行き店員さんと選んだこの着物は、背が高くないと着こなせないと勧められて買ったのですが、私には少し荷が重い着物だったかもしれず(というか、ゲストが着てるようにきれいではなかった)それからの結婚生活はなかなか大変なものでした。がんじがらめの生活で毎日苦しく、三人の子供育てながら楽しいこともありましたが、そんな節目節目に着た着物の華やかさや着心地は、今も鮮明に覚えています。

 そしてその着物を今度はたくさんの外国人が着てくれて、心から喜んでくれている、私が着た着物から私が消え、ただ着物だけが残って、着ている人の感覚だけがどんどん増えていく、これは私のものだけではなく、今までいただいた何百という着物も同じです。柴又のお米屋さんのおばあちゃまからいただいた、たくさんの素晴らしい結城紬は、何枚かを男物に仕立て直し、沢山の外国のイケメンたちが着てくれて、いただいた方の家の前を颯爽と歩いています。着物の命、着物の暦を追体験すること、ミシガンの看護師さんは私の着物を着てその中に今の自分を投影してくれた、それを見てたくさんのギャラリーが喜び幸せな気持ちになってくれる、私個人などとうに越えて着物たちは羽ばたいていきます。