私が十年以上前に介護福祉士の資格取るとき、しばらく研修で通った特養の施設で、何十人という入居者とのコミュニケーションをとる仕事していて感じたのは、介護は本能でするもので、これがなければたとえ仕事であってもつらいのです。
曽野綾子さんの「人間の芯」という本に、国家や社会を当てにせず自分の嗅覚を研ぎ澄ます、自分が”見た通り”を信じる癖をつけるという所があって、沢山の入居者さんたちと一時間以上過ごすとき、自分の感じるように見ているように話しかけ笑い触れ合う、言葉の通じないゲストたちと触れ合う時と同じですが、これも自分の嗅覚を研ぎ澄ましていないとできない事です。良い方向に感じてもらえるようにあらゆる手段を使ってコミュニケーションをとるということは両方一緒で、これからの混迷の国際社会に一番必要なことだと思うし、だからこそきな臭い匂いのする危険はいち早く察知し、逃げる算段もできると思えるのです。そんなとき、(介護する)意思がないなどという人物の行く末はあるのだろうか、少なくともこういう人とコミュニケーションをとりたいとは思いません。
これから何があるかわからない、とにかくひとつずつ誠意を尽くし自分の力を尽くして進んでいくしかありません。とりあえず、ダブル見舞いに出かけます。