ラジオのスペイン語講座を聞いていたら、コロンビア人夫婦が四国をお遍路してから高野山や熊野古道へ行くという会話をしていて、その後知り合いが高野山へ行ったりしていたのですが、弘法大師がいつも一緒にいるという意味の「同行二人」という言葉が私の潜在意識の中にずっとありました。コロナ以後どんな考え方をしながら仕事をしていけばいいのかと考えていて、そのキーワードは先ほどの言葉「同行二人」ではないかとふと気が付きました。でもそれは弘法大師と一緒なのではなくて、今まで来たゲストとか、自分の中の光と影、あるいはコロナかもしれない、悠久の存在のような気配と一緒にいることが、仕事をしていく上での原動力になると思い始めています。
昨日久しぶりに帝釈天の回廊や彫刻ゾーンに行きました。コロナ以後は三時までしかお寺の中にいられないので、慌てて庭園を見ていたら、沢山の想い出が押し寄せてきて、いたるところでゲストの気配を感じていました。
「我は彼、彼は我」「我を捨てる時我はある」今までゲストと向かい合ってきて、特に乏しい英語で考えを伝えなければならないときなどは、自分の意識はかなぐり捨てて気持ちだけをぶつけることもあったし、そんな時自分はなくなっていると感じることがありました。沢山の国のゲストと触れ合ってきて、何が一番良かったかと言われたら、これまで知らなかった国や人種の人たちのアイデンティティの存在に気づけたこと。言葉がわからない分、より想像して心に近づこうとしてきた、それが私にとってのエアビーの仕事の意味でした。着物を着てティーセレモニーをして、一つの日本文化のツールの中に身を置き、互いに心を触れ合わせ何かを考えていくことが私たちの目的でした。解答が出なくてもゲストが何らかの不安の中にいても、上質の着物を着てお茶を飲むということが、仏教の彫刻の前に身をおくということ自体が、私の体験の目的でした。
そして今私たちは等しくコロナの影におびえている。それこそいつもコロナと一緒にいるのです。着物着ても抹茶を飲んでも不安に苛まれて過ごすのなら、無理して体験をする必要はないのかしら。でも昨日しばらくぶりで境内の庭を眺めていた時、この場所に佇んできた700人のゲストのいろんな思いが私の中に取り込まれていることが、私を強くしてくれることに気が付きました。私は単なる媒介で良いのです。たくさんの想いやしがらみや苦しみを抱えたゲストの不安を抑える啓示が着物を着ることにあるか。ある。お茶を飲むことで不安から逃れられるか。できる。そこの境目に私たちはいます。ここまで不安でも立ち上がれるか。どうやって?フランスのポールはフェイクでない風景に身をゆだねることで平安の啓示を得たと言っていました。合気道をするブラジルのお父さんは彫刻版の前で仏教とタオリズムについて妻とずっと語り合っていました。つまりここは世界の境目だった。同行二人、相手は自分でありあなたであり、コロナであり、その時々で姿を変えるものですが実体はひとつだったのかもしれません。
雨は降るし、花火大会や盆踊りも中止だし、集まれない集えないとなれば、浴衣販売をしている娘たちも大変だろうと思います。ただこれまで外国人に浴衣着せて暑いさなか帝釈天の境内を歩き回った私の経験から言うと、彼らはみんなと同じことをするために着物を着ているわけではない、着物を着た唯一無二の存在であるがために着物を着て柴又に来ているのです。長身で長い髪を垂らした、切なげな眼の無口な男の子が、小柄なちょっと目のきつい女の子と来た時のことはいまだ覚えていますが、紫のひで也工房の浴衣着た彼は昔の剣豪の由比正雪の様で、精神的に難しいものを抱えていて、それを彼女が一生懸命カバーしようとしている気配を私は感じたし、仏教の彫刻版の説明を食い入るように読む彼女の姿は今も鮮明に覚えています。自分が心から自分でいられてすがすがしく生きることが出来ることを私たちは心から望んでいるのだけれど、なかなか難しい、コロナ前は他人と比べ自分の不幸を嘆いたものですが、コロナ以後は自分が何で生きているのか、その存在価値すらわからなくなってきた。そういう時にひで也さんの着物を着たこと、柴又のお寺に行ったこと、彼のことをいまだはっきり私が心の中に覚えていることが、何かの物語の意味になって、生きるよすがになるのではないか。コロナ以後はどの商売も厳しく儲からないのですが、だからこそ厳しい中でいま何を考えて何を作ろうとしているか、自分の人生観が着物に現れそれが誰かの支えになる、自分の天命を知っているかどうかが、大きな分かれ道になる気がしています。
同行二人、一人でないから相手に影響を与え影響を与えられ、生きる意味を考えていくことが出来る、この感覚は素晴らしく有益である気がしています。