今朝、三歳の女の子が、朝の子供番組の中で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を一生懸命暗唱していました。途中でつっかえて考えて、また頑張って最後までできて、こちらまでほっとしましたが、この子は覚えるまでどれだけこの詩を読んだことか、そしてそれが彼女の体の中にしっかり入り込んでいることに気が付いて、私ははっとしました。
2011年にワシントンDCで東日本大震災の追悼式が行われた時、読まれた英文の「雨ニモマケズ」を下に書きました。いろいろな訳がある中で、これはイギリスに住む日本人が世界中にいる人にわかってもらおうと、世界各地にいる人に手伝ってもらって作ったものだそうです。でも大震災は災害として受け止められましたが、今起こっていることは人災です。人間の心が起こしたものです。自分が引き起こした災害やトラブル、戦い、犯罪に対しても最後は自分が勝てばいいとか、自分に関係なければよいとか、あらゆる理屈や言い訳を並べて目先の欲にとらわれてしまう私たち人間は、それこそ努力して序列を作ってそれを目座すことに奔走していました。良い学校に入り良い会社に入り良い結婚をし良い家を建て良い子供を持ちよい老後を送り世界中を旅して幸せに生き続けるため、頑張ってきた、それをあっさりコロナは覆してしまいました。
雨にも風にも負けない身体を作ればいいのではない、豪雨や災害が起きた時なぜそれが起こるのかを、世界レベルで考えなければいけない、なぜ猛暑になるのか、なぜ異常気象になるのか考えて学んで、自分にできることをできる限りやりいっさいの妥協をせずに、本物を作る努力をする。自分の芯を持ち続け自分の感じるままに無限を見て、純粋に執念を持つ。
雨にも風にも負けないということは何なのでしょう。ノアの箱舟しか、洪水に耐えられるものはなかった、そしてそれに乗ることが出来る資格のある生き物だけが存続で来たということ。甘ったれたことを言ったり、他人を批判することのみに精力を使い果たす人間は、ノアの箱舟には乗れない、強いからだと強靭な精神力と自分をきちんと見つめる目を持てと宮沢賢治は子供たちに言っている気がしています。
雨ニモマケズ Kenji Miyazawa
Unbeaten by rain
Unbeaten by wind
Unbowed by the snow and the summer heat
Strong in body
Free from greed
Without any anger
Always serene
With a handful of brown rice a day
Miso and a small amount of vegetables suffice
Whatever happens
Consider yourself last, always put others first
Understand from your observation and experience
Never lose sight of these things
In the shadows of the pine groves in
the fields
Live modestly under a thatched roof
In the East, if there is a sick child
Go there and take care of him
In the West, if there is an exhausted mother
Go there and relieve her of her burden
In the South, if there is a man near death
Go there and comfort him, tell him “Don’t be afraid”
In the North, if there is an argument and a legal dispute
Go there and persuade them it’s not worth it
In a drought, shed tears
In a cold summer, carry on
Even with a sense of loss
Being called a fool
Being neither praised nor a burden
Such a person I want to be