Lovers ラバーズ

 昨日の日経新聞の文化欄に、彫刻家の吉野美奈子さんの記事が載っていました。9・11後の二十年というシリーズの四回目に登場した吉野さんは富山県の方で、一度は旅行会社のOLになりましたが、アートへの夢を諦めきれず、働きながら学費を工面して東京の美術大学に通いました。卒業後「画家としてどのように日本で生きてゆけばいいのかわからない」と悩んでいた時に、道端に100号の絵を出して眺めていたところ、日本人は皆黙って通り過ぎてゆくだけだったが、3人のニューヨーカーがやってきて、いろいろと感じることを述べてくれ、この体験が、言葉や国籍を超えて「世界の反応を知りたい」と考えていた吉野さんに、渡米決断への後押しをしたのです。貯金をはたいて単身ニューヨークへ渡り、アート概念や美術解剖学を学んでいる時、イサム・ノグチの助手だった高橋誠治さんと出逢い、それから石彫刻では困難とされている直彫りを12年かかって習得しました。

 しかし、2001年渡米後にニューヨークが同時多発テロの攻撃をうけて、アメリカが戦争に突入してゆく中、恐怖に怯えながら、街中の天使の彫刻のそばで考え続け、そして「世界に『分ける人、壊す人』がいるなら、私は『つなぐ人、創る人』になろう」と思った吉野さんは、あの時、失意と哀しみの充満するマンハッタンに、天使の像がいてくれなかったら、どんなに孤独だったかしれない、だから自分も、人の心に寄り添えるモニュメントを、いつかそれを必要とする人たちのために作りたいと努力してきました。その情熱に応えてくれたニューヨークの街で、次々と「愛」や「平和」を訴える作品を発表し、受賞を重ね評価されてゆきました。彼女は、古典~現代・東洋~西洋・具象~抽象、そして平面~立体~空間に至る、様々なテクニックと思想を融合した独自のスタイルで創作していて、作品と活動を通して広く「平和のビジョン」を届けているのです。制作テーマは「宇宙的生命の繋がり」で、制作する作品は次第に大きくなり、ニューヨークの代表作「ラバーズ(恋人たち)」のモニュメントをはじめ、アメリカ東海岸のあちこちの都市に設置されるようになりました。

 9.11同時多発テロを間近で経験したことは彼女にとって大きく、「明日は今日の続きじゃない、人生はいつ終わるかわからない」ということを実感して、それからは一日一日を精一杯生きて行くことをモットーに、アメリカやイタリアで頑張ってきました。テロから続く争いが激しさを増すさなかで、「Tears 涙」「Pain 痛み」「Pray 祈り」という平和のためのシリーズを作り、2014年には初のパブリックアート「Lovers 恋人たち」をニューヨークに設置したのですが、これは日本神話のイザナギ・イザナミに着想を得て、二人の男女が優しく抱き合うイメージを表したもので、何かが愛から生まれていく瞬間であり、国境を超えたつながりの象徴なのです。

 吉野さんは、「私は物を作るアーティストですが、社会や人の世界は、人の心が創るのだと思っています。感動とは人の心が感じて動くことを言うのですが、私が本当に作りたいものは、その感動だし、それぞれの人の人生は、それぞれの人の心が、それぞれのハッピーをデザインしていくもので、何が正解なんて本人しかわからない」というのです。

 彼女の作品を見たユダヤ人コミュニティから依頼されたのが、ニュージャージー州のシナコーグに作ったホロコースト・メモリアル彫刻記念庭園で、ユダヤ人以外が同様の事業に関わるのは珍しいというのだそうです。彼女が驚いたのは苦難の歴史を伝えようとするユダヤ人の熱意の強さで、毎週のように大量の資料が送られてきて、何度も長時間話し合いながら、思わず目をそむけたくなるような悲惨な事実の数々を、芸術でどう翻訳すればいいのか考え悩みました。憎しみや悲しみを忘れないことは重要だが、どこかでその連鎖を断たなくては争いは絶えない、そして制作したのが「歴史の本を読む子供たち」の像で、二人の子供がのぞいている本のページには一言「Remember 忘れない」と記し、未来を紡ぐ子供たちの姿を借りて、歴史を学び、平和な未来を共に考えることの重要性を訴えています。

 今日は9.11です。20年前のこの日、私はテレビの前に座って、史上最悪のテロを、まるで映画の場面のように感じながら何回も見ていました。吉野さんはリアルタイムでニューヨークにいてこの場面を体感し、どうしようもない恐怖で街をさまよった時、天使の像を見て救われたと言います。その後、ラバーズを作った時のインスピレーションが日本神話のイザナギ・イザナギから来たというのもとても意外で、というのもこの前重陽の節句について調べている時、この神話の話が出てきたからなのです。吉野さんは物凄く勉強家で頭がよく、沢山の本を読みいろんなところで猛烈に勉強してきた方ですが、彼女の原点というか、何かを産み出そうとする考えのルーツが神話であったり、石を掘る時も、石が語り掛けてくるとか、ホロコーストで犠牲になった子供たちの声を聞くとか、この世のものではないものと交信しながらものを作り出しているというのが、不思議なのです。

 今迄の価値観とか差別とか序列とか、いろんなものが音を立てて崩れ落ちていく今、そこから浮かび上がるのは、愛を持った人とのつながりです。ユダヤの人達は、年令も国籍も関係なく、日本人の吉野さんの中に、自分達との絶対的な愛とつながりを見出し、彼女の感受性を全面的に信頼したのです。吉野さんのラバーズの像を見ると、胸が詰まります。男女でも親子でも仲間でも同胞でも、ああやって抱き合えることは幸せです。

 

 予想もしていなかったアクシデントにあったり、災害やテロに出くわした時、自分の気持ちや心をどう鎮めるか、感受性が強い人ほど大変だと思うのですが、それを乗り越える強い意志は、正しい気持ちからしか生まれないと思うのです。たくさん本を読み、勉強し、世界を見てきた吉野さんの愛という概念の原点がイザナギ・イザナミであったことに、私は強く打たれています。戦後の教育や風潮や世論に、流されてはいけない。戦後生まれの私たちは、歴史は受験勉強の一環で、暗記してそして忘れてしまっていいくらいの認識しかなく、道徳や倫理の授業には何のインパクトも、必要性も感じず、皆と同じように普通に生きて行くというレールに外れないようにしていくことが唯一の規範でした。でも、こうやってあらゆる災害やテロやコロナウィルスの蔓延の中で、初めて自分で考えて、何かと戦って生きて行くためには、何が正しいか、何が正しくないか、純粋なものは何かを知るために歴史を学ばなければならないということが身に染みてわかりました。もういかさまをして生きている場合ではない。9.11が20年目に教えてくれたことは、コロナ禍にいる私たちに、強く響くのです。