こうもり柄の浴衣

 日本舞踊の講習会にずっと通っている娘が、浴衣を着て勉強会で一人で踊るというので、調布のホールに行くのを楽しみにしていたのですが、急にゲストの予約が入っていけなくなってしまったので、動画が取れたら送ってと頼んでおきました。次の日の夜に写真だけ送ってきたのを見たらびっくり、うすピンクの髪をアップに綺麗に結って、金子國義さんのコウモリ柄の浴衣を着て、うちから持って行った紫にカラフルな横じまが入った絽の帯を締めてマスクした娘が写っているのです。

 私よりは少し小さいけれど大柄な娘は、着物着用必須の仕事場でも、小柄な可愛い女性が着られないような大胆な模様のものが似合うようで、お客様には遠くからでもよく目立つと言われて、写真を撮られたこともあるとか、それにしても勉強会の最後のみんなの集合写真を見たら、皆さん普通の?高級な浴衣を着て写っている中で、コウモリの柄は異色です。京都のひで也工房の浴衣の販売でデパートの催事場にいた時に、隣のブースにロック調の浴衣のデザイナーさんがいらして、マネキンが着ているのを毎日眺めていたり、ショップの方と仲良くなってお話したりしているうち、異質な感性のデザインが自分に似合うことに気が付いた様です。ロックシンガーも着ているそうですが、そうするとファンも買ったりするとか、今のご時世、花火大会も盆踊りもないけれど、最近は若者はそういうものに興味を示さなくなった傾向もあるとニューズで報じられていました。

 浴衣を着て何をするか?ロックファンでシンガーが着ているのと同じ浴衣を着て、さてどこへ行くか?それこそデザイナーの作った前衛的な浴衣を、伝統的な日本舞踊の発表会できて見るという行為は、親に似て色香やはんなりした雰囲気を持ち合わせない娘の、着物に対するリスペクトを持った新しい挑戦である気がします。小さい時から義母に疎まれ、義弟夫婦が悪し様に娘のことを非難した時も何も言えなかった私ですが、長いことかかって自分の中で紡いできた核がやっとしっかりしたものになってきて、何よりも他者への愛情が娘の本質になっているのを眩い思いで見ています。 

 「役に立っているかね?」図らずも夫が職場で浴衣着ている娘の写メを見てつぶやいた言葉です。ひとのためになること、世の中のためになること、しっかりした技術と感性と愛情を持てること、そういうものが見えてきているということは、神の恩寵にほかならない。苦しみは人生の真理が姿を変えたものであり、神が貴方と一緒にいるという合図である、ブーバーの言葉です。義父の夢を時々見るという娘は、先祖の魂に守られている気がするというのです。「コウモリの浴衣姿、皆に褒められたよ」とラインに書いてありました。愛情を持って着る着物姿に勝るものはないのでしょう。