夫は義母の弟妹達のためにいろんなことで尽力していたので最近は皆とすっかり仲良くなり、昨日は越谷に住む弟さんのところへ新築祝いに呼ばれて出かけました。義母の容態も落ち着いていてもうすぐ点滴も外れるそうで、ほっとしながら私は、難関の111㌔と119㌔の姉弟さんにどうやって着物体験をしてもらおうか悩んでいて、着物を着て外に出るのはかなり難しいから、羽織るだけか振袖ドレスみたいに着せて写真を撮って、お寺へはカラフルな羽織だけ付けて行こうかと考えていたら、定刻少し前にコンビニで買ったハンバーガーやパンをかじりながら仲良く現れた二人は、着物を着ることができるという嬉しさに満ち溢れ、スリッパまで持参していました。二人とも一月が誕生日で36歳のお姉ちゃんはシカゴで働き、31歳の弟君はカリフォルニアにいて、二人の趣味は旅行で一週間日本で過ごした後はフィジーへ行くそうですが、いろいろ話しながら弟君に特大の着物を着せたら前が合わず、とりあえず帯も締めて刀を持たせたけれど、前が合わないのを気にしていました。
繊細で真面目な彼は、神社と寺の違いを聞いたり、私の体験に来るために色々考えてきたのがよくわかり、お姉ちゃんと一緒にクラブへ行って踊ったり旅行に行ったり、本当に仲が良いのです。お姉ちゃんに一番大きい振袖を着せるしかないと決心した私は、とりあえず先にヘアメイクをしてもらっていたら、何と座っていた丸椅子が壊れてしまい、弟君が大笑いしながら倒れている彼女を助けてくれました。赤い長襦袢と黒の大振袖を着せてみると何とか前は合うので、襟もとはレースで隠し、帯を結んで仕上げることができ、これでショールをかけて外へ出られる、ほんとうに奇蹟だなと思ってほっとして外へ出ると、家の前の電器屋のおじちゃんが見送ってくれて、二人とも本当に嬉しそうな顔をしてたとあとで教えてくれました。
娘の成人式ために患者さんだった和裁師さんが最高級の着物を作ってくれて、布地から染めから一番いいものを使い絵師さんが直前まで百花繚乱の絵を描いてくださったこの着物は、娘から始まり何十人の人達が袖を通し、その度にみんな幸せな気持ちになるし、サイズがかなり大きい女性でも包み込んでくれる不思議なもので、陽の光を浴びると途轍もない輝きを放ち、それを見る人達にも驚きと幸せを与えてくれます。
弟君は今度はデニムの着物に黒いハットをかぶり、こちらの方が着心地がよさそうで、嬉しそうにお姉ちゃんや自分の写メを撮り、柴又でいつものコースを辿ったのですが、お姉ちゃんは歩くと息が切れるようで早めに帰ってきました。夫がいないからティーセレモニーも一人でやって、何とか全工程を終了、でもとにかく仲の良い姉弟で、電車の中でお姉ちゃんに小さい時から仲が良かったのか聞いたら、お母さんは同じだけれどお父さんは違うそうで、いろいろ複雑な家庭のようです。でも大きくなってお互いの存在が救いになっていて、両方シングルでガールフレンドもいないけれど真面目な弟君が、お姉ちゃんと一緒に色々な文化を楽しむための手助けをしてあげられる立場にいることが、とても幸せだと思えるようです。
結局日本の文化というものは、精魂込めて作り上げたものを、みんなで共有することだし、見た時の感動や戦慄を味わえるシチュエーションをできる限り提示していく努力をすることが人々の心を救い、無駄な争いや悪の誘いを妨げることになる気がします。なぜ権力者は争いをやめないのか、それは心に染み入る感情を味わう機会がなかったからではないか。うちに来て黒振袖を着てお寺を歩き、絹の肌触りや陽に映える色や柄、全てが一流で職人さんの魂が注ぎ込まれた着物を味わう、時々まわりからかけられる賞賛の言葉、見てくれて喜んでいる人々の顔つきが一生の思い出になるのです。日本文化の誇りはそこにある。
藤井風さんの「死ぬのがいいわ」が大晦日にテレビで放映されたことが波紋を呼んでいるという記事を読み、私は戦慄を感じながら画面に見入ったけれど、普通の歌だと思って聞いているとかなり違和感もあるし、拒絶反応があるのも仕方ないのかもしれません。でもこの曲はSNS上でシェアされるとその耳に残る独特なリズムはあっという間に世界中に広がり、12週連続でYou Tubeのグローバルトップ40位入りを果たし、2022年世界で最も聞かれた日本の歌になったのです。「生きて行く上で大切なことや心構え」が曲作りの根源で、12歳で弾き語りをYouTube配信し始めた藤井さんは「最初から日本だけに限定しない届け方をできるだけやっておこう」と取り組み、SNSでも英語縛りで発信して、今ではアルバムの歌詞カードに世界中のリスナーに歌詞の意味をきちんと届けたい思いから、自ら訳した英語の歌詞を付け、英語で歌の解説をする動画も配信していると説明していて、これからは「言葉の壁を超えて喜んでもらえるようなものを出していきたい」と言います。外国で熱烈に支持されている「死ぬのがいいわ」も、自分の中にいる愛しい人、自分の中にいる最強の人にしがみつきたいし守りたい、自分の中の大切な自分ということ、それを忘れてしまっては死んだも同然。だからこの曲は自分との対話になっている。興味深いことに誰もそんな解釈をしていないけれど、自分の理想の形は自分の中で見えていて、それに近づきたくても近づけないこともある、そこからの救いを求めているというか、もがき…そういうことが閉じ込められている。「死ぬのがいいわ」のこの歌詞を見て、いくら変わっている私でも自分の内面に対して語り掛けているなど想像できなかったけれど、日本でより海外で先に理解されたというから、ニュアンスとか雰囲気とかZ世代の伝播ツールというものはもう摩訶不思議なものになっているのかもしれません。自分の中の核、芯、変えられないものが何なのか、わからないで夢中で生きてきたけれど、最近は特にいろいろな国のゲストと話していると、自分の中の内面が浮き彫りにされて、最後に何をやらなければならないのかがやっと見えてきた気がします。
翌日の日曜日シンガポールから来たゲストは普通サイズで、着物を用意しながら昨日の姉弟のインパクトが強かったからなぜかモチベーションがつかめず、この気持ちで柴又へ行けるかと心配していたら、登場したのは明るい話好きの40代と30代のカップルで、彼氏はタバコを吸うので夫と仲良くよもやま話をしながら外でくつろぎ、可愛いお嬢さんは赤い振袖を着て、日本は寒い寒いと言いながら寺町を散策、お煎餅やお菓子を買い込みました。彼は仏教徒で彫刻も熱心に見ていたのですが、突然「タオリズムを知っているか?」と聞かれ、三年前に来た日本で合気道を習ったことのあるアルゼンチンのパパが、ママと仏教彫刻を見ながら真剣に話しあっていて、私にこれはタオリズムに通じるものがあると言ったことがあると話しました。このゲストのエピソードが無ければ私には何も話すことがなかったけれど、合気道を熱心に学び何かを極めた感のある痩身のパパがこの東京のはずれの小さなお寺の素晴らしい仏教彫刻を見ながらママと長いこと真剣に話し合っていた、多分その姿がタオリズムなのでしょう。
息子に私は自分の事しか考えていないと批判されたことがあったけれど、結局自分の事がわかるために人は一生努力し続けるのだし、それができなかったり逃げ出したりしていたら、他人を不幸にする行動を起こしてしまう、世界中の紛争や戦いを起こす権力者たちは自分の事すら大切にできないのです。
成人式の着付けで、今年は監督する立場になった娘は、年配の方々の振袖着付けを別室でそっと直すことをやって疲れたと言いつつ、着つけ教室で資格を取ってかつ高齢になった方々が、着付けているお嬢さんの好みや雰囲気を想い計らず自分のやってきたことしかできないし、だから不備が多くなり仕上がりが綺麗でなくて直さざるを得なかったというのを聞いていて、物忘れのひどくなった着付けの先生が何度もやり直しをさせられて、それでも謝罪は絶対しなかったという話を私もしました。入念に準備し、あらゆるパターンを想定しながらシュミレーションをしていても予期せぬ出来事が起きるけれど、緊張しているお嬢さんの心を解きほぐしながら一番いい笑顔が生まれるよう努力することも着付けをしている上で大事という娘と、無駄話は一切せずただ黙ってひたすら着せよと注意されてきたという着付け師さんと成人式の後会って話を聞いて、何かが大きくゆがんでいると着物を着たいという気持ちにもなれなくなってしまう、危険だなと思います。
自分の中の自分といつも対話し、悩みながらもがきながらも自分の一番大切にしているものを提示し、それを広げて相手を大事にすること、私はあなたの味方だよ、心の中でいつも思いながら外国人の着付けをしていると、その時助けてくれるのは一流の着物の質であり、職人さんの魂であり、仏教彫刻の中に沢山刻み込まれている慈愛のようなものだと今気がついています。