結婚記念日の贈り物

 昨日は43回目の結婚記念日でした。若い頃は花束を送ってくれたりしていた夫も、最近は私の顔を見るとババアになったなとしか言わず、結婚を悔いているような発言もあるのですが、それはお互い様です。夫の亡くなった妹さんの娘さんから連絡があり、大学に入学した息子さんが仏壇にお線香を上げに来てくれるというので、私達は1時から支度して待っていました。でも3時過ぎても現れず、若いから大学で友達とつるんで遊んでいるかもしれないよと言い合い、何となく納得して私はパソコンを出して英語で書かれた曹洞宗の禅の本の和訳をはじめてしばらくすると、ベルが鳴って若い彼が現れました。

 健康診断が長引いて遅くなったことを詫びながら、姪によく似た顔立ちのリョウ君はしょっていたリュックから虎屋のミニ羊羹セットを出して、仏壇にお線香をあげてくれました。まだ義父が生きていた頃、姪が曾孫の赤ちゃんの彼を連れてきてくれて会ったのと、大きくなって家族で来た時、お茶の点て方に興味を持ち上手に抹茶を点ててくれ、感心したことがあるのです。素直に育った感の強いリョウ君はいろいろなことを話してくれ、こちらも若いゲストが来た時と同じ感覚になり、彼の中に入るべく会話をしていて気が付いたのが、コロナ禍に学校時代を過ごし、それが緩和されて高校は京都に修学旅行に行け、観光客がいなくて金閣寺も伏見稲荷もレンタルの着物をグループで借りて来て、マスクをしながら楽しんでいる姿は、今までの子供たちの育ち方とかなり違うのです。

 英語は高校時代にしっかり学んだので自信があるとはっきり言う姿に真面目さを感じながら、小さい頃したケガのこと、受験のこと、長男としていろいろなものを継承しなけれなばならない負荷を意識しながらも、その中で自分が本当に大事にしたいものを見つけていく努力をするという彼の人間性に強く打たれました。義母の葬儀で弟夫婦に久しぶりで会った時、虚偽の会話ばかり重ねて一向に誠意の見えないことにあきれ果てたのだけれど、彼らの子供たちはいろいろ悩みを抱え、それを素直に話してくれるし、リョウ君にしてもこんなに若いのに、誠実に物事の本質をとらえる能力があるし、私達はこういう深い話を親世代とはできないことに、深い闇を感じています。

 

 それにしても爽やかに現れたリョウ君は将来は着物を着る生活がしたいというので、いろいろ浴衣や紬を着せて見たのだけれど、なんせ細くて形が決まりません。いつかしっかりした体になったら、いくらでも着物を着せてあげると思いながら、息子も着物に憧れていると言っていたし、エアビーをやめても着物の行き先はいくらでもあることに気が付き、嬉しいしほっとしています。6時過ぎに帰っていったリョウ君を見送った時、彼の来訪が私達の結婚記念日の贈り物だったと気が付いたのです。リョウ君ありがとう。またおいで。