600レビュー

 昨日来たシンガポールのゲストが夜にレビューを書いてくれ、600レビューというきりの良い数字になりました。大体来た人数の半分が書いてくれた計算になるのですが、このところゲストの層がかなり変化しているのです。子供連れが多くなったのはいいのだけど、わがままというか今まで大丈夫だったこと、紐を結ぶとか帯を締めるという段階でおいおい泣かれたり、10歳なのに大人の振袖を着たいと言ったり、親の付き添いで無理やり連れて来られて不機嫌だったり、やりずらいことが多いのです。

 昨日来たロシア人のママはカリフォルニア在住とあったのでアメリカ人だと思っていたら、10歳の娘さんと入ってくるなりチェブラーシカがいると指差し、私が人形のお腹を押してロシア語のセリフをしゃべらせると、聞き入りながら苦笑しています。44歳でシングルマザー、モスクワ生まれのママは大柄でショートカットのブロンドの髪に薄いブルーの目をして、旅が趣味でタロット占いが仕事?のようで、昨日中国から日本に着いたばかり、今日は4時半に帰りたいとのことなので、早くに着付けて柴又へ行かなければなりません。何だか暑いので、単衣や念のため浴衣も出しておいたのですが、ママは袷の菊の訪問着を選び、娘さんは用意しておいた七五三用の黄色の着物は気に入らず、振袖モデルが着ている縦じまの斬新な着物の写真を指差してこういうのが着たいというのです。この前は15歳だけれど身長が180㎝の女の子に赤い振袖を着せてとても喜ばれたけれど、150㎝の10歳の子のちょっと頑固そうな女の子にいったい何を着せようかと考え、先だって頂いたヤマモト寛斎の黒地に紫やブルーのラメのアジサイが咲き乱れている浴衣を見せると気に入ってくれ、赤い半幅帯を締めてバレエダンサーのような髪に飾りをたくさんつけて何とか仕度ができました。

 その子の好みをいかに早く察知して、在庫の中から気に入るものを私が出してくるか、今はそれが勝負なのです。優しい夫はすぐ「それは無理だ、おとな物だから諦めて」となだめるのだけれど、私の辞書には不可能はないので、何とか頭を絞って間に合わせるしかないのです。もう一組のシンガポールのゲストは彼女が曲者?で、入ってきた時から不機嫌の絶頂で愛想も何もなく、満面の笑みをたたえる彼氏とは一年の付き合いでしっかり手は繋いでいるけれど結婚はしていない、そしてこの子の好みがまた特殊で、華やかな振袖には目もくれず、棚を漁って上品なオレンジの総模様の色無地にすっきりした帯、白い帯揚げに薄ピンクの帯締めを選び、本当にハイセンスでクオリティの高い選択をしました。話しかけても小声で早口に話すのでよくわからず、コミュニケーションもあまり取れないのだけれど、着付けながら手が触れあい私が彼女の手を握って冷たいねと何気なく言うと、すっと握り返してきて、私はその時から彼女に妙な魅力を感じ始めました。

 よくわからないカップルは大阪から京都を回り東京に来たそうで、写メには美味しそうな食べ物が沢山写っていて、楽しそうな彼女の姿があります。まだ足が不調な私を気遣って、夫は着付けが終ったカップルを二階に連れて行き、日本の家の説明をしてくれて、柴又から帰ってきた時も冷蔵庫に一本残っていたビールを用意してくれました。みんなで乾杯したりスナックをたべたりしたことがとても嬉しかったとシンガポールの彼のレビューに書いてあって、そういうことを望んで私の体験を選んでくれたのだとわかったのですが、写真を撮られるのが嫌で笑ってくれないロシアの女の子は、テーブルの上のみたらし団子を3本食べ、駄菓子屋では欲しい種類のお菓子の説明を早口で言うのだけれど、よくわからず金平糖とコーラのグミを持ってきたので買ってあげ、3時間半付き合った私の感想は難しかったということです。ママ1人に育てられ、アメリカとロシアの学校に通い、いろいろなところを旅しているこの女の子に感じるのは、ネット社会でいろいろな情報が得られ、自分の感覚を一番にしていることが、かえって自分を苦しめることになるということで、家庭がない彼女は夫の優しさが新鮮で心を寄せているように見えるのに驚きました。

 ロシア人は昔から変わっていると夫は言うけれど、私はこれまで来たロシア人には他の国より孤独を感じることが多かったし、ロシア人としての家族が来ることは無かったのです。オーストラリアから来た自閉症の女の子に七五三の着物を着せて家族で柴又へ行った時、無表情なのに神々しいくらい綺麗なその子と家族の着物姿に参道の人々は賛嘆の言葉をたくさんかけてくれたのだけれど、自分の興味のあるものには強く心を寄せ、抹茶まで点てられるけれどあとは自分の世界に入る女の子にパパは時々悲し気な視線を送りながら、着物を脱がせた女の子の髪飾りを取って長い髪をブラシで梳かしてあげていて、私にはその姿がとても印象に残りました。 

 みんないろいろなことを抱えて生きています。そして災害や戦争など様々な非情な運命が、思いがけずふりかかってきて、そこから逃れる術もない時、老いも若きも苦しみをしょって一本の道を歩かなければならない、でもその時に愛情という胆力を持っていれば、非情な運命さえも受け入れて、輝く光を追い求めようと思えることが出来る。エアビーの仕事によって、私は今まで見たことがないような風景をたくさん見ることが出来ました。これから何が起こるかわからない、世界はどう進んでいくのかも見えないのです。でもすべてを受入れ、自分のできる最善を尽くす、そのスタンスを変えてはいけないのです。