慈母観音

 明日は夫の実母のさださんの祥月命日です。義母の納骨が3月30日だったので、今日お花を持ってお墓参りに行くと、草もそんなに生えていなくて、15本並んだお塔婆が壮観でした。このお墓に入るのを嫌がっていた義母だけれど、弟妹達の強力な援護射撃で、しっかり安定している感があるのです。そうなると、明日命日のさださんが一人ぼっちのような気がしてきて、夫が離れたところにある水道へ水を汲みに行った時、私はお墓の前で胸が詰まって、涙が出てきました。

 先だってやって来た姪の子供さんのリョウ君位の年に夫は実母を亡くし、悲嘆にくれながら、でも義父は翌年義母と結婚したのです。それから50年、義母は私達と暮らし、夫は実母よりも長く義母と過ごしました。私と夫の弟は同じ年で、私の母とさださんは今どきのママ友で、幼稚園の送り迎えを一緒にしていたのですが、体の具合の悪かったさださんは、寝たり起きたりの時もあったようで、母はいつも顔色が悪かったと言っていました。子供が3人いて、自営業で、柔道の道場もあり、書生さんたちの世話もしなければならず、豪放磊落な義父や姑と暮らすことは想像しただけでも大変だと思います。

 長い長い年月、50年さださんは静かに八柱で眠っていた、その後義父がお墓に入り、それから16年して義母が一緒になりました。お墓参りをした後で私は心の持って行きようがなくなり、二人の母の位置を計れないでいたのですが、帰って来てから仏壇に花を供え、義母の写真を脇において、さださんの写真と位牌をセンターに持ってきて手を合わせた時、腑に落ちました。亡くなって50年以上たち、さださんはもう観音様になっていたのです。慈母観音、世界中の苦しみの音を見るというのが「観音」の意味です。人々を苦しみから救済するために相手の心(機根)に合わせて様々な形となって、幸福へと導いて下さる観音様。どんな問題にでもお力になって下さる観音様、さださんに、私はこれまでどれだけすがって助けを求めてきたことか。義母との長い軋轢に堪えかね、同じ屋根の下に一緒にいることが苦しくて息もできなくなった時、私はアルバムからはがしてきたさださんの写真を胸に抱いて、必死に祈ってきました。病気に苦しみ子供三人残して若くして亡くなったさださんはそれから長いこと修業を積み、私のそばにいつもいて助けて下さっていたことを改めて実感しています。そう、義母を看取る時もさださんはいつも側にいて下さった、なんてありがたい事でしょう。私はもう大丈夫です。

 でも、今私はさださんに男の子を二人抱えて、心の病にかかって心身ともにすぐれない、姪のそばに行ってあげて欲しいと思っています。人は人を救うために生きている。さださんは観音様となって、世界中の苦しみを見つめています。どこかに救いがあるということがどれだけ心の支えになるかということを、沢山のゲストから私は教えてもらっています。