Asian Culture 1月31日

 一月ラストのゲストは、北京から来た40代のママと16歳のベルちゃんでした。日本人のようなルックスで、スリムでコミュニケーション能力が強いママは、お菓子やお茶には興味がなく、一人娘のベルが可愛くて仕方ない様で、最近人気のブルーにピンクや赤の花が咲き乱れる振袖を着た彼女の写メを撮りまくって居ます。スマホの待ち受けもベルちゃんの制服姿で、夫よりも子供が大事みたいですが、一人っ子でも随分手がかかると言いつつ、優秀なベルちゃんを誇らしく思っていて、将来は自分の力でお金を稼げる人になって欲しいというのがユニークです。

割と温かな日だったので、帝釈様と山本亭の両方廻り、たくさん写真を撮りながら、文化ということを考えているママは、仏教彫刻についても的確なコメントをくれて、これは中国人にしてはとても珍しく、宗教を信じることがない彼らが、中国の影響を強く受けた日本の彫刻師たちが彫り上げたアメイジングな蓮華経の物語の彫刻をどう考えたのか知りたいなと思ったのです。

疲れが見えるベルちゃんは時々あくびをしているし、そんなに熱心に彫刻を見ていないのも若いから仕方ないと思うのだけれど、漢字がかなり読めるママは、春夏秋冬などすらすら読んでベルちゃんに教えていて、絵馬の日本語も読みながら「これは受験に合格したいと書いてある」というのでおかしくなりました。北京に帰ってからもらったメールに、ベルちゃんはアジアのカルチャーというエッセイを書いて提出しなければならないとあり、私の体験に来てくれたのはベルちゃんの勉強のためでもあったとわかりました。

随分前に小さい女の子を連れてきた中国の大学教授の女性が、「私が日本の文化を提示しようと努力している」とレビューに書いてくれたことがありました。彼女も無宗教だった気がしたけれど、なにも宗教的土壌がないということはこれから何かの宗教を信じることもないのだろうか、その精神土壌というものは何から作られているのかと思います。

今から1万3千年前に始まった縄文時代から、すでに日本は文明、文化に独自なものを持ち、戦争のない狩猟、採取、漁労を生業とした時代に、太陽、山岳を中心とする自然信仰の強さがありました。しかしそれらは素朴形式ともいうべき単純性、装飾性を持った造詣が中心で、そこには日本人の持っている洗練さ、複雑さ、深さが十分に表現されたわけではなく、単純な表現でした。1500年前に現れた聖徳太子は日本人のために、神道の世界に、仏教を導入することを選択し、共同思想の神道を基礎に、人間の個人の領域の思想を入れたのです。人が悟りというものによって他人にはわからぬ個人の苦しみを癒す方法を得られるよう道を開き、そこから表現が深い芸術の段階に達したのです。自然信仰、御霊信仰、皇祖霊信仰の神道から、個人思想の入った仏教が入ってくることにより、人間の深い部分、不可解な自己を見出し、それをいかに意識できるかという問題が生まれてきました。日本人の精神がより強く、深く表現されている興福寺の阿修羅像、東大寺の仏教彫刻などは、人間の意識という生半可な像ではもはやなくなっています。

 

パソコンと数字とにらめっこする日々が続いています。雪が降り寒くて予約も入らないし、一月のはじめから確定申告に取り組んでいるのに、どこかで間違いを犯しているようで、残高の数字が合わないのです。税理士さんにSOSを発信したのだけれど、私が使っている会計ソフトはやりにくいので使っていないから、自分で頑張ってやりなさいと温かい?エールを送られました。やれることはやったので、もう少し時間をかけて見直していこうと思っていると、今日から予約がボチボチ入り始め、節分に来たゲストからは素敵なフラワーバスケットが送られてくるし、北京から来た優秀な母娘からは文化に対するコメントや、大学に送る用の16歳の娘さんのスピーチの動画まで見せてもらっているのです。去年来たポリネシアとフランスのハーフのジュリアーナからは、長いメールが来て、法科の勉強や映画製作の講義で忙しかったけれど、また日本に来たいとあります。

今年に入ってエアビーのサイトの写真を変え、値段も少し上げて、コメントも月ごとに替えたりしてリニューアルしていますが、とにかく世界の情勢、気候変動、そして動物たちの反乱、今までとは違う行動は、もはや愚かな人間に従うことはできないという意志表示なのでしょう。夫が毎日見ているテレビはまやかし、新聞もネットも愚かな人間の住処、そんなところに目をやる暇などない、気を付けてクモの糸を少しずつ昇って行けばいいのです。

悩んで苦しまないと発心はおこらない。苦しんで苦しんで自分がわからなくなって、何とかしなくちゃと思い、こんな自分から抜け出したいという意識を持つことが必要です。過ぎ去ったことに執着せず、すべては自己である、すべては新しい、すべては美しい、すべては真実である、すべては光っている。自分の心の持ちようで生きて行けばいい。ゲスト達はそれぞれの国で、努力しています。