文化のアイデンティティとは何か

 日経新聞の日曜欄文化時評の見出しに、「文化のアイデンティティとは何か」ー何度も蒸し返されてきた論争が再び問われるーとあるのを見た時、私は正直言って驚きました。戦後反戦を誓って欧州連合に踏み出し、欧州企業は国際化して欧州連合(EU)や欧州中央銀行(ECB)などの国際的な機関が政治や経済の中枢に躍り出て、移民や難民、外国人労働者も受け入れたころのイメージを持っているからこそ、私のエアビーのコンセプトである「日本の本格的な着物と生活を楽しもう」を正面切って掲げ、それに対してあなたの国の文化は何かといつも問いかけてきたのです。

 でも最近はどうも風潮が変わってきて、移民により自分の国が乱れ、我が物顔に振舞う他民族や、下手をすると両親が離婚して新しい親が移民で、家庭にいられないと暗い顔をする若者までいるのです。そんな中では何が自分の国の文化かと考えることなどできない、今若いゲストたちの心を突き動かすのは、ゲームの中の世界観であり、これは新しい文化であるのかもしれず、その歴史を調べて見ました。息子が小学生の頃ゲームがはやり、スーパーマリオブラザーズ、ゼビウス、ドラゴンクエスト、ゼルダの伝説、そしてファイナルファンタジーへと続くらしいのですが、ここでRPGという言葉が出てきました。

 ロールプレイングゲームとは、特定の舞台設定の中でキャラクターを操作して成長させ、目的の達成を目指すゲームのことで多ジャンルと比較し、世界観やストーリー、キャラクター設定のこだわりが強い傾向にあるそうです。ゲームを作り出していた方々の座談会があり、最近の状態は企業の方向性と自分達がやりたいことが乖離していったので、自分が本当に作りたいものを作り、自分が「面白い」と思うもので遊んでいたいし、それもまた一つの自分が生み出すエネルギーになるところがある。日本特有の文化みたいなものを逆に大事にすることで、みんなに興味を持ってもらえるのではないかという気持ち、ただただ自分の感性で淡々と作っている。海外の若い方々が、自分たちがものを作れる年齢になった時、日本の今まであったものを見て、子供の頃から育んだ感性を、いろいろ展開できると思ってくれているのです。逆に日本のゲームで育ってきたから、西洋のゲームの方が新鮮で初めて触れるものだということもあり、エンターテイメントにおいて新鮮というのはとても大事というのです。

 外国人が日本のゲームに夢中になるのは、自分が子供の頃から育んだ感性に、初めて触れる異文化の新鮮な刺激がプラスされ、自分の中で何かの核となることがわかって来たからかもしれません。自分の置かれている立場や境遇が、もし災害や戦争や、何か大きな力によって捻じ曲げられ、それによって苦しんだとしても、それを受入れ昇華して何かを作り上げることが、それを乗り越える唯一の方法であると私は今深く思っています。