昨日は義父の祥月命日で、天気も良く、八柱霊園の空は晴れ渡り、ピンクのサツキが咲き乱れてとても綺麗です。雨上りなので草は抜きやすいのだけれど、膝を曲げられないからキリンが草を食べるような姿勢でずっと雑草を抜き、墓掃除をしてやっときれいになりました。この前来たのはさだお母さんの4月24日の命日で、その前は義母の納骨の日、そして5月1日には皆の菩提を弔って下さったご住職様が74歳でコロナ感染で亡くなるというショックな出来事があり、なんだか世の中が急速に動いている気がします。
いつもお墓に着くとまず雑草に目が行き、今回はさつきの花柄摘みもあったので夢中で作業をし、一段落した時そういえば義母もこのお墓に眠っていることを思い出しました。自分はアウェイだからここに入るのは嫌だとずっと言っていたけれど、青空の下に五輪塔のお墓、後ろには義母の親戚たちの沢山のお塔婆が並び、清々しい風が吹く広い墓所で静かに眠っているのは幸せだと私は感じています。義父が亡くなった二日後が私の誕生日で、整骨院の仕事をしながら葬儀の準備をして、誰も祝ってくれず、長女からそっと花が届けられて嬉しかったのですが、子供たちが独立してからは、息子は一升瓶を送ってくれるようになり、今年も新潟の大吟醸が届きました。
血圧も高いので、今はお酒は控えているけれど、最近はゲストと最後に酒盛りをするのが楽しくて、六月に来る外国人たちはラッキーだなとおかしくなります。足の痛い原因もいろいろ動画をみているうちに歩く時の筋肉の使い方が歪んでいるせいで、関節に負担がかかり痛むのだとわかり、それを直すための筋肉の訓練を少しずつ始めています。整形に行ったら痛み止めの注射をし薬を飲み、低周波をかけマッサージをするだろうから、どうしても気が進まなかったのですが、三階の家に住んで35年、上がり降りの回数は途方もない数字で、コロナ禍ではひたすら歩き、仕事を始めてからは夜足がつって寝られないほど足を酷使していて、右の関節に負担がかかる筋肉の使い方をしていたのが、義母の納骨後一気に爆発し激痛となったのでした。
健康診断もさぼっていて血圧が高いのを放置していたら、目の毛細血管が詰まって出血して初めて悪化しているのに気が付き、服薬をはじめていますが、70歳の坂を登ろうという時に色々な啓示が現れてきていることに驚いています。今更ですが、私は自己中で勝手でわがままで独りよがりの人間で、いい子供でなくいい妻でも嫁でもなく、自分の子供に対しても良い母だったとはとてもいえません。悩み思い込み突っ走り、それでも懸命に努力してきたつもりです。息子に以前「母は自分のことしか考えていない」といわれ、子育て中は子供がよく成長するよう全力でサポートしていたつもりだったけれど、結局自分が一人の人間としてどう生きるのが正しいのかということがわからず、もがいていた青春時代の葛藤がいつも根底にあり、特に息子にはどう生きるべきか、何が良いのかという指針を差し出すことがどうしてもできず、自分で自分の道を決めよと放任してきました。
就職してからずっと親元を離れ、束縛され続けてきた義父も亡くなり、全くの自由となった息子は、何をして行くことが自分の望みなのかいまだわからずにいるようで、夫は早く結婚しろとせっつくけれど、一度うまくいかない体験をしてからは二の足を踏み、独り身でいます。義母の葬儀の時、甥や姪に久しぶりに会って、皆家庭を持って子供もいるのだけれど、二人の男の子がいるのに鬱病になり、心身共にすぐれない姪の話を聞いたり、マスオさん状態で妻の実家にはいり、ストレスが溜まりまくって心臓の調子が良くないという甥と話していて、人として成熟していないうちに親になってしまう危うさを強く感じています。
私も成熟していない人間です。エアビーの仕事を始める前、誕生日になると自分の興味のあるところへ行っていろいろなものを見て、子供たちからお祝いのメールが入ったりするのだけれど、感じるのは「私は一人だ」という孤独感でした。私に何ができたのだろう。私は何だったのだろう。私の努力とは何だったのだろう。
ふとしたきっかけでエアビーの仕事をはじめ、沢山のゲストが来るようになり、必死で毎日を過ごし、あまりに知らなかったことが多い中で何とか辻褄を合わせて4時間外国人と過ごすうち、私の中の孤独感とか閉塞感とか、もがきを持っている人たちが世界中にいることに気が付き、その感覚が私の強みになって、私の体験のカラーになっていきました。コロナがあって、アップダウンが激しく続いて、そして実母と義母を見送り、私は明日70歳になります。娘から古稀の花かごが届き、息子からお酒が届き、先週の日曜日に来たゲスト達がプレゼントを届けにさっき来てくれ、私は妙な気分でいます。
私は何で生きているんだろう。私の役目は何だったのだろう。人づきあいが苦手で、同調できない私は、外国人との4時間、もろに相手の中に入ろうと努力し、その感情を追体験しようとしてみます。まっさらな気持ちになり、相手の孤独に寄り添う時、私は孤独ではなくなる、それは相手も同じなのです。明日は次女がセッティングしてくれたレストランへランチを食べに行きます。娘婿と息子に着せる着物を用意しましょう。出張着付け、出張体験です。