「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」

 杜甫によって詠まれた「曲江」という漢詩の一説、<酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり>が日本に伝わり、古希の由来となり、70歳を祝うきっかけになったそうです。酒代のつけはどこに行ってもあるが、古来より70歳まで生きる人はめったにいないという意味だそうで、今は70歳でも働いているし、元気な方々が多いのです。

 親世代を看取り終わって体調が崩れてきた私は、久しぶりに薬を飲む生活をしていて、夜中に目が回ったり気分が悪くなることがあり、このまま倒れてしまうのかしらと不安になることがあって、70歳の朝を迎えた時とてもほっとして、坂を登った感がありました。足の不調の原因もわかり、血圧の高いことも食生活の見直しや、加工品を取らないようにするという意識につながり、ゆっくり慎重に生きていこうと思いながら、次女がセッティングしてくれた東京タワーの下のうかい亭にお昼前に向かいました。

 みんなで着物を着ようといったものの、私が一番つらいので、娘婿と息子に着せる男物の着物と帯をバッグに入れ、黄色いワンピースを着て駅に向かっていると、近所の鳥やのおばさんに会い「どこに行くの?」とびっくりしたように問いかけられました。いつも私は普段着で外国人を連れて歩いていることが多く、近所のみなさんは見慣れてきた光景なのだけれど、私が正装しているのが珍しいんだなあとおかしくなり、夫はすぐ「古稀のお祝いに行くんですよ、もうババアですよ」とあたたかく?フォローしてくれました。新橋まで行ってタクシーに乗り東京タワーに近づくと、沢山の外国人たちが歩いているのに驚きました。緑が多くて素敵な空間が多く、誕生日プレゼントを持ってきてくれたゲストのジェニファーたちも東京散策を満喫していて、エリックは皇居周辺を走っていると言っていた訳が分かりました。日本はどこへ行ってもクリーンで安全で気持ちが良く、食べ物が美味しいのです。

 水車や橋や庭園があるうかい亭は中も広く階段もあって、私にはちょっときつかったのですが、早めについて部屋で待っていると長女が到着、毎日仕事場でも着物でいる彼女のその姿にまず圧倒されました。着物を着はじめて20年、基礎をしっかり身につけ着付けもたくさんこなしながら、ダンスをしたりタップダンスをしたり、最近はスノーマンの曲に合わせて弾けた着物姿で何人かで踊る動画も出しているピンクの髪の彼女は、今日は髪を編み込みひで也工房の洗えるひとえを着て、同じトーンの小花模様の帯を締め、カジュアルな薄手の羽織を着ています。日本人で完全に自分の表現になっている着物姿を見ることはなかなかありません。最近は着物姿の方々が増え、柴又でも歌舞伎座周辺でも浅草でもたくさん見かけるのですが、着物を着慣れている日本の方のサイトなどを見てもなかなか感動することは無い私が、親とはいえ完全に脱帽してしまいました。

 職場で着物を着ていても、お客様に褒められたり写真を撮られたりすることもあるとか、手前味噌ですが、私の着物を着こなしたゲスト達も随分賞賛されます。自分が自分であること、自分の歩んできた道、やってきたこと、悩みや喜びや悲しみ、そんなものが全部自分であることを助けてくれ、その姿を見て喜び勇気づけられる人もいるのです。次女夫婦と息子も来たので男性陣には単衣の紬を着せ、乾杯してからうかい亭の美味しい料理を堪能しながらいろいろな話をしましたが、子供たちの生き方がユニークであり、娘婿も夫とゴルフに何度か行ってすっかりなじんできて、会話していてとても楽しく勉強になるのです。一番やり手で能力があるけれど性格のきつい次女は、そのまま会社にいれば役員となり何もしなくても高給がもらえる道はどうしても無理とコンサルティングの会社に転職し、今は岡山で働いて、週末に帰ってくる生活をしています。空港への送り迎えをしてくれる優しい旦那さんはいつも美味しいご飯を食べさせてくれ、傍若無人な次女と仲良く暮らしている、それに引き合え能力が彼女より落ちる息子は経営能力の乏しい会社でもがき、いつの間にか100㌔近い体重で見苦しいと皆にいわれながらなかなか生きる道が見つかりません。

 親たちが甘やかしたからだと皆に言われるけれど、末っ子長男姉二人という構成は私の弟、姉の夫、義弟の息子も同じで、歯医者や技術者として立派に成功したのだけれど、妻から非道な仕打ちを受けたりストレスまみれだったり、悲惨な亡くなり方をしたりしているのです。私は姉弟の中でも一人外れた生き方をしているので、59歳で亡くなった父には最後まで行く末を心配され、親戚にも厳しい舅姑と同居して辛い結婚生活を送っていると同情されていました。息をするのも辛い日々があったのは事実ですが、実母を一人で世話して看取り、義父義母も夫と最後まで世話してすべてが終わった今、古希のお祝いをしてもらってお酒を飲んでいると、やっと今私は成熟した人生を送って来たのだと実感できるのです。これらの修業は私にとって必要だった。こんなに時間をかけないと、人は人になれないのだということがわかりました。

人として幸せな生き方は、聞き上手であり、楽天的であり、家庭環境の厳しい家に育つことによって得られるという文章を読みました。すべてに渡って管理され干渉される家庭から逃れることはできず、子供たちも辛い環境だったから、私は息子に強く強制をすることはできなかった、義父母の価値観に納得できないのに、なぜ私たちの言うことが聞けないのかと言われても、息子が望まない道を歩めと強要することはできず、自分で自分の道を決めよと放任してきたことが甘やかしたことになるとは、私には思えなかったのです。

 四十代になった娘二人が落ち着いてきたのにほっとしつつ、娘婿は生死にかかわる大病をしたのが40歳過ぎと聞いたことがあり、私も36歳でガンの手術をしたし、姉の旦那さんと夫の妹さんは50代でガンで亡くなっています。コロナワクチンの影響で免疫力が落ち、命を落としやすくなっていると心配する人もいる現代、何が起きても不思議ではない。古稀の紫の花かごを見ながら、これからの人生を一秒一秒大切に生きていきたいと強く感じています。うかい亭の玄関の前で、係の方が「一列に並んでください」と言って、東京タワーをバックに何枚か写真を撮ってくださいました。その中の一枚に、斜めに虹のような光が差し込んでいるのがあって、長女が東京タワーはパワースポットだから、ご先祖様の霊が一緒に写っているのかもしれないとラインしてきました。その光は端に立っている長身の娘婿に差し込んでいます。九州の彼のご先祖様かもしれない。私達は彼のご両親に挨拶していなかったのでした。ここまで私たちに良くしてくれる温かい娘婿に、彼のご先祖様に心から感謝しながら、古稀を迎え皆に祝福されていることに涙が出る思いです。

 これからは、また新しい人生が始まります。