朝方緊急地震速報が出てスマホが鳴りだしたけれど東京は揺れを感じず、そう言えばお正月も能登で大地震があったことがわからなかったのです。しばらくニュースを見ているとまた同じところで地震が発生し、いつなんどき何が起きるか全くわからなくなってきています。母がよく言っていたことで、戦争中空襲警報が出て逃げ惑っている時はどこの防空壕に入るかが賭けで、右か左かで生死が分かれるのです。人を殺そうと爆弾を落とす人間がいて、それを指示する人間がいて、基地に戻ってきたらそこが地震で壊滅することもあるだろうし、そこを救うため各地から救援隊が送られる。いろいろな喪失感をいつも感じながら、それでも前へ進む原動力となるものを探し続けなければなりません。
足が痛いとか、血圧が高いとか言っていたら、危機の時自分の足で逃げ出せない、人のために何かをすることすらできないことに気が付き、効率的にリハビリをしながら自分のできることを増やしています。このところ予約を入れないようにしていて、今週の土曜日からボチボチゲストが来るのだけれど、久しぶりにテナントに申し込む方がいると知らせがあり、担当の方と一緒にいらっしゃるとのことです。接骨院の申し込みは一切断っているので、十年近く募集中の張り紙がしてあるのだけれど、コロナ前にあった保育所とかスポーツジムとか区の包括センタ―とかの話は、今思うと無理だったとわかります。私がエアビーの仕事で使うようになって、少しは収入があったけれど、それよりもこの辺鄙な東京のはずれにいて、世界中のゲストを迎え入れるという経験は何物にも代えがたいものでした。
これまで来たゲストの国別の統計を見ていたらやはりアメリカが多く、移民も含め250人以上来ていますが、最近来たニューヨークに住むイタリアとナイジェリアのハーフの女の子とプエルトリコのボーイフレンドは、十日間の東京ツアーがあまりに快適で、危険で汚れていて殺伐としているアメリカに帰ると思うと気が滅入ると話しているのを聞くと、日本も決して良い事ばかりではないけれど、かなり恵まれている国だと再認識しています。
日経新聞に、グローバル・ビジネス・コラムニストのラナ・フォルーハーさんの「深刻さ増す米国民の孤独」という記事が載っていて、米国民の間で意見が一致しない問題は数多くあるが、共通する問題は孤独感だというのです。政治的志向、経済状況、社会及び文化的背景の違いや人種、性別を超えて孤独感は広がっている、私は国際結婚をしてアメリカで暮らす日本人のユーチューブをよく見ているのだけれど、ユタ州に住んで恵まれた生活をしている女性でも、ニューヨークの近くに住み失業を繰り返しながら子供二人と綺麗な奥さんのいる中国と日本のハーフの男性も、深い孤独を抱えているといつも感じるのです。
ユタ州に住む女性は料理が好きで、毎日パンを焼き野菜を刻みいろいろ作るシーンがずっと続き、アメリカ人の夫や娘と食事をしながらの会話は映さず、あとはペットの犬の散歩シーン、そして巨大なスーパーでの買い物風景だけなのです。アメリカの家はいくつもゲストルームがあり、複数のトイレ、バスルーム、庭、広いキッチン、でもそれだけで、例えばゲストに日本家屋を見せる私たちは、仏間や神棚、床の間、障子、襖、掛軸、などを見せながら謂れや歴史を話すけれど、そう言った文化がないと会話が続かない、宗教も大事なカルチャーだと私は思っています。
新聞のコラムの挿絵は、椅子が一つあるだけの星条旗のような壁紙の四角い部屋で、窓枠に腰かけた男性が孤独な顔をして頭を抱えているものです。何もない、こういう部屋がいくつもあるだけなのでしょう。ゲスト達がなぜ日本のアニメが好きなのかだんだんわかってきました。漫画のワンピースが好きな大学時代の友人4人がゲストで来た時、着物を着て寺の庭園の長い廊下で妙な恰好をするので聞いてみたら、歌舞伎の六方を踏んでいるといい、ワンピースの中のそのシーンが大好きで着物を着てそれができるのが嬉しいそうでした。日本人よりももっとマニアックで突っ込んで考えるタイプのゲストは、帝釈天の一枚の彫刻版を見て、これは仏教の中で一番大切なパートだと教えてくれ、私は深く感動したのだけれど、そういうことを考え続けていく限り、私達は決して孤独ではない。龍の彫刻の前で口を開いているのが「阿」口を閉じているのが「吽」宇宙の始まりと終わりを表すと私は説明するのだけれど、この辺鄙なお寺の龍の彫刻の開いた口から潜り込むと広大な宇宙が広がり、それをゆったり味わって出口に出てくると、またこのお寺の龍の彫刻の口に戻って来ると言いたいのです。世界は皆どこかで繋がって居て、だからあなた方外国人は私と今ここにいるのです。
何が起こるかわからない今、少しずつ体の不調を直しながら(今日は歯の根っこを抜きました)仕事があればそれをして、70歳を過ごしていきます。