静かな日々

 毎日三回血圧を測り、薬を飲み、抜歯した箇所の消毒のうがいをし、ユーチューブで筋力アップの簡単なストレッチをしながら静かに暮らしています。二階は義父母の居住スペースだったから、すべてがぜいたくに作られ、旅館よりも良く出来ていると思いながら、義母が使っていた高価な電動ベットに毎日寝て、天井板を感心しながら眺め、いたるところにある手すりに感謝しているのです。

 義弟は独立する時三階建ての家を建ててもらい、それから結婚して自分たちの家族だけで暮らしていて、二世帯で両親と住む長男家族の大変さは味わわないで来ているのだけれど、義弟の嫁がうちに来た時、自分達の住んでいる家はここに比べてすべてにおいて劣っていると憤然と言った言葉が耳に残っています。義父は戦争から帰って来て無一文からスタートして、努力して全部作り上げてきたのです。強すぎる性格でいろいろトラブルも多かったけれど、私は年取って一人で義父母がいつも二人でいた二階を全部使って暮らしていると、大変だったことはすべて忘れ、有難いことだなあとひたすら感謝せずにはいられません。

 三階の本棚から少しずつ本を二階へ運び、夜読みながら眠くなると寝るのだけれど、やはり好きな村上春樹の本を手に取ることが多いのです。

「他人から教えられたことはそこで終わってしまうが、自分の手で学び取ったものは君の身につく。そして君を助ける。目を開き、耳を澄まし、頭を働かせ、街の提示するものの意味を読みとるんだよ。心があるのなら、心があるうちにそれを働かせなさい。私が君に教えることが出来るのはそれくらいしかない」(世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド)

 自分が定まらずふわふわしている息子はコロナ前に恋人ができ、結婚するつもりで相手のお家にも行ったのだけれど、いろいろ違和感を感じたようです。それでも結婚して子供ができたら大事に育てると言っていたのが、思いがけない彼女の裏切りでご破算になり、かなりショックを受けてそれからは体重も増え、見苦しくなってしまったのだけれど、それこそ価値観が違い人間性に違和感を持つ家族と一緒になればずっとストレスが溜まり、自分が自分でなくなってしまい精神も病んでしまいます。

 古稀の席では、娘たちは親が散々甘やかしているから息子は自立しないといい、確かにそうだと思うのだけれど、それもこれも全部含め、整骨院をしている時は若いスタッフと掃除をしたり包帯を干したり家業を手伝い、難しい義父母と一緒に過ごさざるを得なかった日々も、彼の引き出しの中味を増やしています。有機農業をしている娘の友達が月一回野菜ボックスを息子に宅急便で届けてくれ、それを彼は嬉々として料理し食していることがとても稀だと、農家の彼女は驚いています。夫に毎食作ってもらっている次女には絶対できないことで、それが彼の好きな事なのでしょう。

 偏食の夫は結婚してから野菜を食べるようになったと義母が驚いていたけれど、最近は加工肉や添加物の入っているものいっさい使わないようにして、値段が高くても良いものを買って食べていると、心が穏やかになっていくようです。三月三十日の義母の納骨までは私の体も足もなんともなかったのに、四月になってどっといろいろなことが崩れて足も動かなくなってきたのも、何かの啓示でしょう。

 ブッダが最後に「自分だけを拠り所として世界を生き、あらゆるものから解放され、何にも頼らず、ゾウのように堂々と本心で歩みなさい」と言った言葉は、人生の最終段階を生きていく時の指針となっていくような気がしています。。