一週間前に予約してきたゲストは全く情報のインフォメーションを送ってこないでいて、たまにこういうタイプもいるからと思っていて前の日に家への道順を書いたメールを送ると、それは読んでくれたのでホッとしました。アメリカから二人来るのだけれど、ロドリゲスという苗字だからメキシコ人かしらと待っていると「running late(遅れている)」とメールが入り、それから「私達はここにいる」「階段を下りた」「道がわからず混乱している」と矢継ぎ早で、うちから駅は見えるし歩いて2分だしみんな簡単にやって来るのにと思いながら夫に迎えに行ってもらうと、何となく不機嫌な雰囲気でやっと到着しました。
二人の小柄な27歳のメキシコの女の子で長い黒髪で化粧をしっかりして、テキサスで小学校の教師をしているヴィクトリアは顔の表情が硬く、会社員のステファニーはニコニコしていて、この時点でもう2時なので、柴又へは行かず振袖と浴衣を着せて写真を撮り、ティーセレモニーをするだけに決め、黒振袖と水色の振袖を選んだ二人はヘアスタイル作りに余念がありません。センセも楽しそうだから大丈夫かなと思ったけれど、先に着付けてから夫が写真を撮ろうとすると「No thank you」と言って、座り込んでお菓子を食べています。ンンン?いつもとは違うタイプだなと思い、何となく話をしていてもあまりのらず、彼氏もいないけれどどうでもよくて、趣味もないみたいだし、文化にも関心がなく、二階へ連れて行くと三面鏡に興味を持ち、その中の自分を一生懸命撮っています。
涼しい一階でティーセレモニーをしようとすると「お腹が空いた」というので、近くの餅菓子屋さんでいなりずしや団子、豆餅を買い、食べさせてから抹茶を点て、彼女達にも点ててもらい、最後に浴衣を着せるとあくびをし始めたので、暑いし疲れているようで、急いで終了しました。外へ出なかったわりには夫も私もずいぶん疲れ、センセは何を求めてこの体験に来てくれたのかわからないけれど、ありがとうとも楽しかったとも言わず、あっさり帰って行きました。私が撮った写真を送りたいからGメールアドレスを送ってと頼んだけれど、多分来ないだろうし、レビューもないでしょう。それはそれでいい、これまでもいろいろなタイプのゲストが来たし、初期の頃に来た三人のフランスの男の子をホスティングした時の感覚に似ている気がしました。学生だったけれど、リーダーの男の子は一生懸命盛り上げようと頑張り、でもあとの二人は無言で流れに従っていただけだった。その後コロナ禍を経てやって来た若いひとり旅のアジア系の男の子たちは何かを探している感が強く、与えられるのではなく自分が何を与えられるかを模索していました。そして昨日来たセンセは、きょうだいも一人だけで心が何処にあるかわかりにくいタイプで、どのように子供と接触しているのか正直想像できません。前に来た40歳の独身の台湾の女性は教師職を辞めて訪問看護師になって、欲しいものは夫だと言っていたことがあったけれど、彼女はとても正直だったのです。
欲しいものは何でも手に入る時代だと文明の発達を享受していたら、コロナウィルスという前代未聞の審判にさらされ、自分達がどんなに危うい橋を渡って来たか、良いと思っていたことがまやかしの上に成り立っていたことに初めて気が付いたのです。そんな時に、教育とか学校とかいう子供を育てる上での一番大切なモチベーションとなるものが、しっかりしていないことを感じるのだけれど、もはや何かに頼るとか、どこかに入りさえすれば永遠の安泰が得られるというのは幻想で、誰もが迷っているのだから、毎日毎日自分の生きている道や方向を確かめ進んで行かないと、崖から転がり落ちてしまうのではないかと思うのです。
隣の一人暮らしの95歳のおばあちゃまが施設に入り、無事かどうか心配している近所の方たち、雨が降るから咲き誇ったバラを切っているそばを通りかかった私に一枝下さったり、エアビーの民泊をすることになったから、着物体験のパンフレットを置きたいと持って行った在日中国人の隣人、みんないろいろな問題を抱えながら、相手をきちんと見る目を持っていることが、今一番の強みなのでしょう。