終わりの始まり

 今日は朝から激しい雨が降っています。日本に来ているアシュレイから連絡があり、スウェーデン人のお姑さんが昨日来日したので、今日こちらに来たいというのだけれど、宿泊先が世田谷代田で一時間以上かかるし、義母は84歳だそうで体調もそんなに良くないので、結局会えない事となりました。実は私も血圧の薬や眼科の薬もなくなったので、午前中病院通いをする予定で、天気が良くみんな元気ならば着物体験だけでもできると思っていましたが、この雨では中止で良かったとほっとしています。

 84歳ではるばる日本に来られるなんて素晴らしい!と、今の私には感嘆しかないのですが、昨日は整形のリハビリの日で、若い理学療法士のお兄さんに優しく丁寧にマッサージしてもらいながら筋肉の正しい使い方のレクチャーを受け、少しずつ改善できるように努力しています。運動は苦手だけれど50代はピラティスの指導を受けて歪んだ体を治すエクセサイズを続け、毎日テレビ体操を欠かさずしているけれど、正しくない膝の筋肉の使い方で無理をしていたツケがこんなにひどく出ているのだから、それを直す努力を続けていきましょうということでこれからしばらく通うことになりました。

 今日行った内科は、雨だから空いているかなと期待していたのがはずれ、コロナ、インフルエンザ、溶連菌などの患者さんが待合室ではないところで隔離されて待っていて、先生も戦闘モードで動き回り、私のような高齢者の高血圧は自主管理で大事にしなさいくらいの感じでした。一か月前に行った時はのんびり穏やかで、先生が訪日外国人のことに興味を持って下さり色々聞かれたけれど、もうそれどころではなく、また何か良からぬものが蔓延りそうな予兆があり、今年の夏は静かに過ごした方がいいようです。自分の体を見ながら終わりが始まっていると感じるけれど、それはすべてのことに言えるのかもしれない、無駄に焦ることなく正しいことを正しくしていけるよう努力して行けという教えだと思っています。

 義父や実母や義母を病院に連れて行き、看病や介護していた頃のことを思い出します。皆いなくなってしまった。でも彼らがよしとして望んだ世界はもう終わりを告げています。予測できない世界のむこうに見たことのない景色があるのかもしれません。先が見えないって、本当はとても素晴らしい事で、今まであったことを予測するのではなく、全く未知の世界が真っ暗闇の向こう側にある、それはわくわくすることなんだと、星野源さんが言っていたことを思い出します。体の修復改善計画を実行しながら、無人島に上陸した気分で、未知のものを見つけに行く毎日がこれから始まります。