ネットで「コロンブス」という言葉についてざわついた動きがあり、私も好きで良く聞いていた「僕のこと」などを歌うグループの最新のMVに不適切な表現があり、削除され作者からは謝罪のコメントが出ていました。昨日の夜テレビ番組でそのグループの特集があり、何曲か聞くとメロディラインや歌詞、歌唱力、ビジュアルなど群を抜いていて、若者が「刺さる」と好きになるのもわかるのですが、同級生や仲間がメンバーのグループで、お誕生会やクリスマス会など欠かさずやり、ちょっと乙女チックなファッションに化粧、ピアスなどしているどちらかというと女性的な彼らが、今回の問題になったMVも楽しくみんながホームパーティーをしているイメージでつくったのはいいけれど、そこに出てくる歴史的な人物などの行動が、世界的な視点から見て、かなりの違和感や不快感を持たれてしまったのです。
才能のある若者が自分の能力や感性を努力と共に発揮し、成功して行く様を見ていると、ただ感嘆しかないのだけれど、いろいろな国からくる多様な民族の方々と、着物を着せるという行為で繋がって居る私にとって、単一民族の日本人で同質の仲間と居心地の良い空間の中で努力し続けることの危険を感じるのです。学校や教育は、同じ空間で同じことを考えないといけないけれど、それがどうしても苦痛だった私は孤独の闇の中に籠りひたすら逃げまくりました。現代は優れた技術や仕組みの中で、若者たちはもっと自由に羽ばたくことが出来る、でもそこにあった落とし穴がコロンブスだった気がするのです。
今朝の日経新聞に「この思考、本当に私のもの?」という見出しの、人類が「AI語」を話す日についての記事がありました。著名プログラマーで作家のポール・グレアム氏が「delve(掘り下げる)」という言葉を目にする機会が2023年から多くなり、これはChat GPTで書かれた文章の特徴で、話し言葉では使わないこの単語をなぜAIは多用するのか考察していて、実はチャットは開発時に適切な受け答えを学ぶため人間と大量に対話の訓練をしたのです。相手は自給2㌦以下で雇われたアフリカの人々と報じられ、delveはナイジェリアなどで頻繁に使われていて、アフリカでの訓練がチャットGPTに影響を与えた可能性があるというのです。
貪欲に進化するAIは、人類が紡いできた文章を読み尽くそうとしていて、ニュース記事や辞書など数十兆の単語で書かれた人間の文章をお手本に能力を高めてきて、このままでいくと26年にもお手本の文章を使い果たすといいます。人類のあらゆる言語的遺産を飲み込んだAIは何を語りだすのか、人を超えた知能が次々と未到の課題を解決していくのか、でもAIには人間がもつ歪みも組み込まれているのです。言語は人間の思考様式を規定するから、欧米の文化のもとで育てられたAIが普及すればAIの価値観に人間が染まりかねないと、中国は米国企業製のチャットGTPの使用を止めたし、各国は自らの文化や慣習に基づくAIの開発に動いています。AIが変えるのは、ビジネスや働き方だけではなく、言語を通じて私たちの思考や文化を知らないうちに塗り替えるかもしれないのです。
グループの若者たちがコロンブスに対する評価が最近はマイナス面が多いことを知らなかったのだろうとか、制作にあたった関係者がなぜそれをチェックして意見しなかったのかとか、いろんなことを言う人々がいるけれど、あれだけの楽曲を真摯に独りで作ることが出来る力を持つならば、すべてにおいて責任を取るべきだと私は思います。学校で教えられなかった?半世紀以上前に高校の授業で聴いた世界史の授業はひたすら眠く、子守歌のように「インダス文明は…」聞こえてくる先生の声は今でもはっきり覚えています。年号を覚えるのも苦痛だったけれど、子供たちが小学生になった時買ってきたマンガの世界の歴史はとても面白く一緒に夢中になって読み、大河ドラマや歴史映画、そして夫の好きな西部劇などもリアルにためになったのです。
でもエアビーの仕事をするようになって、乏しい英語力で会話を繋ぎ4時間共にゲストと過ごすには、いろいろな知識や洞察力が必要で、前に来たゲストとのやり取りを、次のゲストが来た時使ったりすることでしのいでいたのですが、ユタ州から若い女性と私サイズの19歳の姪の女の子が来た時は驚くことが多かったのです。日本の大学に短期留学していたので日本語は堪能で優秀な能力のある彼女の顔はどことなく憂いを帯び、掃除の仕事をしている姪は日本語を勉強したいというので、看板や標識を次々読んでは教えて面白く過ごし、最後に別れる時、女性は「私はネイティブアメリカンでモルモン教なのです」と告げてきました。日本語なのに、私には意味が分からない、彼女の立場も気持ちも全く分からないまま、だいぶなついてきた姪さんとガッツリハグして別れました。
いろいろ調べると、ネイティブアメリカンの方々は差別されたり迫害されることが多く、仕事を選ぶのも大変なようです。それでも何で彼女が最後にその話をしたのか、当たり障りのない観光で来たゲストでも、時々はっとするような言葉を聞くこともあるのですが、私の英語力が追い付かずそれでおしまいになってしまうのです。
人間は自分で考えて、絶対的な自分の方法を持たなければならない。失敗も成功も全て自分で受け入れ、それから進んでいく胆力を持たなければ、生きて行けない時代に突入しています。教育もパソコンの情報も、ネットもSNSも、新聞もマスコミもテレビも、真実を語っていないことが多くなりました。AIの時代だからこそ、自分が自分であり続けるということが他者を認め、多民族とも共存していく方法なのでしょう。辛いことから逃げない。自分ではどうしようもない事に巻き込まれたら、そこから逃げずじっと耐えて、我慢していける何かを持つこと、スキル、感受性、表現力、鍛錬を重ね、感覚を研ぎ澄ます努力をし続けること、そのことだけを考えて進んで行けばいいのです。
もう化粧もしなくていいから、素のままの彼らの真摯な歌声を、聞けることを楽しみに待っています。