毎日物凄い暑さです。予約のキャンセルや、先延ばしの依頼があり、七月はまだ仕事をしていません。コロナ禍の時とも違う異常事態を感じています。朝のテレビで永守重信氏が学生に語り掛けている番組があり、諦めないで努力し続けることが大切だと言っているのを聞いて、私はかなり前にこの方についてのブログを書いたことを思い出し、探してみました。
2019年4月9日に書いた「炭鉱のカナリア」には、なんで人が人を苦しめるのか。世界の各地で多数決による誤った選択が相次ぎ、混乱が続いている中で、貧しい農家に生まれ苦学したのち会社を設立して世界的なモーター会社に育て上げた永守氏は、独特の嗅覚を持ち「炭鉱のカナリア」と呼ばれ危機を察知し予見する力をお持ちなのです。今後必要な人材はソフトとハードの融合が必要であるから、複合的でかつ経営力のある技術者がもとめられ、ペーパーテストのできる人間ではなく、若い時は遊んで放し飼いも経験して育ったほうがより嗅覚も敏感になる。一人一人が一歩先の危険を察知できなければ崖っぷちから転げ落ちる、いじめられっ子はいじめられて強くなるし、危機の時ほど新規参入組が入る余地が生まれる。きな臭い匂いが漂う中で、危険を察知して鳴く籠の中のカナリアとは自分の中のとんがった感性かもしれず、それを飼いならすためには人と違うということでいろいろ辛酸をなめつつ這いつくばってきた経験が結局役立ってきているのです。困難は必ず解決策を持ってやってくる。だから壁にぶつかれ、困難に立ち向かえ、乗り越えられない壁はない。これからの乱世で大切なのは「自ら考えて、行動すること」である。型にはまらない「とんがり人材」が求められているのだ。
高齢者は猛暑の中を歩き回らない方がいいので、2017年から始めたブログを読んでいると、忘れていた記憶が蘇り、あのとき来た子たちは今はどうしているのかと思います。本当に貴重な体験をしてきたし、それをこうやって文章に残してきてよかった、その時々に起きたことや感情の積み重ねが、あの千手観音の一本一本の手と繋がって居ることまで、やっとわかって来た気がするのです。人間で大切なのは、本質、精神であると最晩年の曽野綾子さんが言っています。
「世界は膨れ上がっている。予測もつかない大破裂がいつ生じるのか。今、私達が生きるこの社会全体が息を止めてその瞬間を待っているかのようだ。君たちはどう生きるか。それは自分はどう生きるかであり、人生の危機にあって、見たくないもの、暴かれたくないものを見据え、跳躍しなければならない。」宮崎駿監督の言葉です。自分が今まで内部に抱えて生きてきたもの、心の内面に生れた時から巣くっているものを扱う映画を作らないと、大事なことを言わないまま終わってしまってはいけないと言うのです。「この世界の中に具体的にとぐろを巻いて存在しているもの、そしてその罠からどうやって抜け出してこの世は生きるに値すると説得力を持って描けるか。ものを作る立場として、まだ見もしない世界がそこにある。空想の世界を妄想し、構築するというのはとても孤独な作業です。孤独であるということを愛することが出来なければ、空想の世界を作ることはできない。今までの作品よりはるかに遠い場所へ、ようやく、私達はスタートの地に立つのだ。」
明日もあさっても猛烈な暑さです。私達は、転換期の頂点に立っています。