新盆の提灯代として沢山お気持ちを戴いたので、果物をお届けしようと金町のスーパーへ行って、スイカ、メロン、バナナ、桃、サクランボ、ブルーベリー、リンゴなど買って帰ってきたら、ちょうど義弟夫婦がおまいりに来て帰った後でした。学校で風邪をうつされて熱を出した奥さんは、学校を休んでいるそうで、だから一緒に来れたのかしら、と意地悪な私は感じて、会えなくてほっとしていました。こんなことを思う私は根性が悪くダメな人間なのです。姪夫婦が来てくれたり、佐賀にいるもう一人の姪からはゼリーセットが届いてとても嬉しかったのに、義弟の奥さんの行動からは誠意や真実がどうしても感じられず、冷たい気持ちになってしまって、本当に困ったものです。世間並のことを全くしていない私の人生は世間並みでないから、夫には辛い思いをさせています。普通に普通に幸せであったらいいのに、それが出来ないなら、そこをとことん突き詰めていくしかない。
今年のお盆は総勢10人のご先祖様がいらしていて、ビールに冷酒、枝豆、そうめん、野菜の煮物、頂いたゼリーやお菓子を並べ、朝はコーヒーを出し、今夜はご飯を差し上げ、そうそうもちろんおはぎも用意しました。いろいろなことは大目に見ていただいて、私に出来ることをしています。カラフルなお盆提灯を付け、暗がりの中でそれを見ていると、長女の浴衣姿の写メを思い出します。着物を販売する職場にいる自分がそれを着て、みんなに見られることで成り立つ仕事であると自覚していること、自分のしたいことはスタイリングだとわかってきている彼女のこれまでの過ごし方、送って来た月日、引出しの中味が、彼女のアイデンティティを作り上げている、そのことがはっきり実感できることが有難いのです。ご先祖様が過ごす最後の夜に、娘の着物姿のような変幻自在のカラーの提灯が光っています。
自分の生きている意味は何なのだろう。そう悩んでいる人が多い中で、一つ頭を突き抜けて前に見える存在が自分の心に刺さるものであると、その後についていってもっとよく知ろうと思います。そういうことをしていると、自分の心が落ち着いて前を向いていける、自分がわかったことで、人に対しての接し方がまた違ってくる、もっと大きくなれる、もっと前へ進める。心が苦しい感情に支配される時は、やることをひたすら淡々とこなす、行動することが大事という文章を見つけました。
今日は送り火です。朝は姪にもらった林檎ジュースを仏壇に供えました。小さい時に亡くなった義父の兄弟の小さいお位牌に手を合わせます。戦災で焼け出された時、とみおばあちゃんは位牌だけを持って逃げ出したと聞きました。この位牌にはそのぬくもりが残されている、魂たちが集っていることをひたすら感じ、誠実に、真摯に、まっすぐにたゆみなく進むことが、人さまの支えや指針になると信じています。