エドワード・ゴーリー

 ジョージア・オキーフの本を貸して下さった奥様は、アメリカの絵本作家エドワード・ゴーリーもお好きで、佐倉の美術館での展覧会へ行ってTシャツも買ったと言い、絵本の題名を色々教えてくださいました。ところが、いろいろチェックして見てみると、どれも恐ろしく残酷でシュールで、何でこれに魅かれるのだろうと思うものが多いのですが、根強いファンがたくさんいるのだそうです。どうやってこの作者に取っ掛かろうか悩んでいて「うろんな客」という絵本の”うろん”という意味がわからず調べると「胡乱」(疑わしく怪しい)で、英語の題は「The Doubtful Guest」とあり、英題の方がわかりやすいと思いながら翻訳者を見ると多方面で活躍している柴田元幸さんで、村上春樹さんとも一緒に仕事をしている素晴らしい方です。

 翻訳を全部しているということは、ゴーリーに心酔しているのだろうと、柴田さんを調べそこからゴーリーを辿ってみました。いやはや、すごい!柴田さんもゴーリーも凄い!これを教えて下さった奥様もすごい!七月は暑すぎてキャンセルばかりで全く仕事をせず、だらだらと過ごしているから精神もたるんでしまったところへ、ガツンと文化的ショックを与えられた気がします。細かく描き込まれたペンタッチの線画。造語、古語を織り交ぜ、韻を踏むテキスト。ユニークな作品で熱狂的なコレクターを生みだしたエドワード・ゴーリーは日本では2000年に3冊の絵本「ギャシュリークラムのちびっ子たち」「うろんな客」「優雅に叱責する自転車」が翻訳出版されたことをきっかけに、一躍ブームが起きました。人間たちの服装は上品でクラシック、家の調度品も重々しい雰囲気、その中に何か異質なものが紛れ込む雰囲気が際立っている。絵や文章にそこはかとないユーモア、詩的で映画的な魅力があります。

 英文と日本語が並んで載っています。「出し抜けに 飛び降り廊下に 走り出で 壁に鼻付け 直立不動」「何言えど およそ聞き耳 持たぬふう 喉も嗄れはて 一家就寝」これが絵本の訳文なのです。編集者は「わけの分からないものって、子ども心に好きですよね。ゴーリーの絵本を翻訳出版したかったのも、そもそも自分が思春期にゴーリーの絵本に出会えていたらよかったのにと思ったからでもあります。」というのです。韻を踏む言葉が続く”ジャンプシリーズ”より 「ふるいにのって ふなでした ふるいのふねで うみにでた とめるともらを ふりきって あらしのあれる ふゆのあさ ふるいのふねで うみにでた」

 

確固たる目的を持たぬ人間が、悪意に満ちた世界の中で、切ない想いをしばしば胸に抱えて、不確定な生を生きている…というゴーリー的世界観。でも読後感は妙にさわやかで、ここにゴーリーの魔術があります。絵本というのは総合芸術だから、たとえば文章だけをとりあげて、子どもが死ぬから残酷な作家だ、というのはフェアじゃない。絵も文章も、その二つがあわさったゴーリーの絵本は、圧倒的な芸術です。シカゴ生まれのゴーリーは、高校卒業後シカゴの美術学校に通いますが一学期で退学、徴兵されて3年間兵役についた後、ハーバード大学に入学、卒業後はニューヨークの老舗出版社に就職し、専属ブックデザイナーとなります。大学を出たばかりの若いゴーリーがカフカの「アメリカ」、キルケゴールの「恐れとおののき」ヘンリージェイムスの一連の小説等などに絵を描いて、それが作品に対する優れた批評になっていることに驚きます。彼は文学、音楽、映画など様々な芸術に関し大変な博学で、独自の趣味に裏打ちされた教養が、作品の底流となっているのです。京都の龍安寺の石庭が世界で一番行って見たいところだというし、源氏物語を10回近くも数人の訳で通読しているなど日本の文化に興味があったようです。何という人だろう。何というすごい世界観だろう。

 一度も読んだことがない、見たこともない世界観の絵本がある、これを教えてくれた奥様は、いったい何者なのだろう。謎が深まります。