今を存分に生きる

 あまりに暑くて予約のキャンセルもあってずっと暇だったのですが、きのうやっと7月最初のゲストが来ました。お国が韓国とあったのでアジア人と思っていたら、15分前に現れたのは眼鏡をかけた小柄なカナダの女性で韓国の大学で英語を教えているそうです。純粋のカナダ人でトロント育ち、お母さんと一つ年下の背の高い弟さんと三人暮らし、お父さんは5歳の時「消えちゃった」そうで、カーリーヘアのお母さんが二人を育て上げ、母方の祖父母に可愛がられ、学校と読書が好きな彼女は体中に素晴らしいタトゥーをしています。「これは何?」ときくと「シェークスピアのコメディと悲劇のメタファー」とか宗教的なスピリットとか花とか昆虫とかいろいろありすぎるのは、自分の体をキャンバスにして色々なメッセージを表現しているからだと言います。

 最近ジョージア・オキーフやエドワード・ゴーリーの作品を見ている私は、自分の体をキャンバスにという言葉に新しい感覚を見出すのだけれど、恋愛もせず未婚で自由に生きていて世界中を旅して歴史を見るのが好きという彼女に、どんな体験を組み立てたらいいかと考えました。ゲストは一人で時間はたっぷりある、やはり振袖と浴衣の二本立てで行こうと思って振袖の入ったボックスを見せると、初めは黒を選んで羽織って見て、いつもダークなものを着ているから違う色味がいいとカラフルな振袖に次々手を通し、最後に水色が一番似合ってそれに決定、ピンクの口紅を付けて清楚な振袖姿になりました。

 韓国の文化は何?と聞くと「コスメ」「おしゃれ」「自撮り」と即答し、地味目の彼女は浮いてしまうのかもしれません。昨日足立の花火を見に行って雨に降られて中止で帰って来た話をして、日本の女の子が浴衣を着て羨ましかったというので、暑いけれど浴衣に着替えてネイルの綺麗な素足に下駄を履いて柴又へ出かける途中、いつものいろんな話をして、日本の車持ってる?と聞くと、韓国では韓国車を買うと政府から報奨金が出るから、韓国の車ばかりだとのこと、柴又の庭園は素晴らしいといい、韓国は遊園地みたいな庭で、そう言われれば最近よく見ている韓国ドラマの宮殿はそんな感じです。日本へ来るのは2回目で、前回は東京、京都、大阪を巡り、今回も東京、大阪、京都、広島と回るそうで、スマホには上野の蓮池や博物館、根津神社の赤い鳥居の写メが入っていて、歴史や自然を楽しんでいます。

 あまりの暑さで日曜日だというのに閑散とした帝釈天を彼女はとても喜んで興味深くあちこち見て回り、黒地に朝顔が咲き乱れるヤマモト寛斎の浴衣を着た姿を私はたくさん写真に撮り、いろいろな説明をしながら思ったのは、一人で観光していたら自分の写真は自撮りだけだし、細かい部分まで見ることはできないということです。おせっかいな私はお盆提灯を買いに柴又へ来た時、暑そうに歩いている二人連れの外国人を見て、いろいろ説明してあげたいなと思ってしまったのだけれど、今回もらったレビューには、私が「着物や日本の文化をシェアすることに喜びを感じている」とあって、私はゲストから見ても嬉しそうに見えるのだなと改めて思いました。

 現代はコミュニケーションの時代です。拙い英語で一生懸命話そうと努力している姿に情熱を感じたとアメリカから来た髭もじゃの山岳ガイドの男性に言われたり、反対にこの蓮華経の題目が一番大事だとアメリカの学校で習ったと教えてもらったり、この帝釈天は私にとって新しい文化や考え方を学べる人間関係が出来るということに驚くのです。年号や歴史の概観は学校で習ったけれど、それをどう解釈するかまでには至らなかったし、こういう話を日本の方とすることはなかなかありません。

 YouTubeに美輪明宏さんの名言集というのがあり「過去を振り返らない、未来を心配しない、今をしっかり生きなさい」という言葉に励まされる思いがします。「人間幾つになっても新たな道へ踏み出す時が来る。それまでの苦労や人生経験はその時のための基本教育」というのは娘を見ていて思うことです。「苦労が多ければ多いほど人の何十倍も楽しい人生になる。運が良くなりたければ微笑んでいればよい、人に優しくすれば良い。思いやりと優しさで道は開ける」これはエアビーのサイトの新しい文章に使いたいものです。

「親にも他人にも愛されずに来た孤独な人は、誰かからほんの少し愛されたり優しくされただけでも、大変な喜びを感じたり、有難みを、また幸福感を味わう頃が出来るのです。」新宿からタクシーでやって来たジャネットとの交流はまさにこの言葉の通りでした。初めて会ったゲストと4時間一緒にいて、孤独だとおいおい泣かれた時に、私も孤独だよ、だからあなたを愛していると言える自分が、孤独の塊の自分が、目の前にいる人を抱きしめて一緒に泣ける、魂の共感が出来る、それは神が与えて下さった私の手段なのでしょう。

 今までも、そしてこれからも、今を存分に生きていきたいと思うのです。