アメリカの大統領選挙は混乱の極みの中で、新たな局面を迎えようとしています。彷徨っているのはどこの国も一緒かもしれず、このまま世界はどこへ向かうのかと思いながら昨日はオーストラリアからのゲストを迎えました。予約を受けてメッセージを送っても返答が全くないため来ないかもしれないと思い、支度だけしていたら空が急に曇って雷が鳴り始め、ぽつぽつ雨が降ってきたところへ長身の外国人男性と小柄でふくよかな女性が玄関先に現れ、私はすぐにテンションを上げて4時間体験を開始しました。物静かで老成したタイプのライアンは37歳のエンジニア、パートナーだというフローラは50歳のフィリピン人で病院で働いている賑やかな女性です。去年フィリピンに行った時、ホテルには欧米の年配の男性と若いフィリピンの女性のカップルが何組かいて、バカンスのアヴァンチュールなのかと思ったけれど、今日のカップルはどう解釈していいかわからないまま迷いなから、着付けをはじめました。180㎝でスリムなライアンはブルーの紬がよく似合い、あっという間に仕上がったけれど、フローラは派手目に髪に飾りを沢山つけたので、私は「今日は20歳になって下さい」と言いながら黒の振袖を着せてオレンジの帯を締めました。小柄でふくよかなので帯が短くなり、苦戦しながらなんとか終了、夫は写真を撮りながら「ラブラブポーズ」と構うので私は何となくはらはらして見ていました。
うちには複雑なパターンのゲストがたくさん来るので、とにかく頭を切り替えて状況を受入れ、綺麗に着物を着せてティーセレモニー体験をし、柴又を案内して仏教に触れるというコースを辿るのだけれど、雨上りで蒸し暑く、花火大会の後なのでお店も閉まっているし、フローラの半幅帯がすぐ下がって来るのを直しながら写真をたくさん撮りました。昨日は箱根に行ったけれど富士山が見えなかったので残念だったそうで、いつもゲストは今までの観光地の写メをたくさん見せてくれるけれどそれもなく、難しいシチュエーションだと思いながら、わざわざ私の体験を選んでくれたライアンの気持ちを考えていました。
お母さんは昨年癌で亡くなって、お父さんと弟妹と暮らしているけれど、誰も結婚していないみたいで、孤独でもなく孤高でもなく、仕事で各地を旅して廻り、ほっとする相手のパートナーはアジア人の年の離れたお母さんのような?フローラです。彼が利用してきたエアビーの民泊ホストのレビューはみんな「静かで礼儀正しいゲスト」とあり、私も夫もそう思うのだけれど、空腹だというので帰りに駅のスシローで寿司を買い、浴衣を脱いでビールと冷酒で乾杯して、みんなで食べているとフローラはしきりにありがとうと言いながら私を抱きしめてきます。
フィリピンの女性は情熱的で温かいのは去年フィリピンで浴衣を着付けた時思ったことで、欧米の男性がアジア人の女性の温かさに魅かれるというのはよくわかるけれど、年も離れているし微妙な関係で、双方それを納得しつつ一緒に過ごしているのです。帰りの電車の中でライアンに趣味は何と聞くと考え込んでしまい、フローラが明るく「私はガーデニング‼」と答えてくれ、もう一つオーストラリアの文化は何ですかという質問にも解答は出なかったのです。自分が本当に求めているのはなんだか分からない、自分は何なのかわからない、いつも何かのベールに包まれているものを見ているライアンは帰る時夫と握手して外へ出たので、フローラと熱くハグをしていた私は彼を呼び返して強引にハグをしました。なんとなく抜け殻のような彼の硬いからだが空虚で、4時間のこの体験も「良い午後を過ごした」という言葉でまとめたレビューがすべてだったように思うのです。
日経新聞にエヴァン・オズノス著の「ワイルドランド」という本の書評が載っていて、米国分断の深層へ迫るルポとあるので興味深く読みました。投資家の町コネティカット州グリニッジで育った彼はハーヴァード大学卒業後、炭鉱労働者のウェストヴァージニア州クラークスバーグで新聞記者としてのキャリアを開始し、その後イリノイ州シカゴを拠点に取材活動に従事しました。中東や中国での特派員生活を終え、2013年に10年ぶりに米国に戻った彼は、かつてのゆかりの地を再訪しながら、米国の来し方行く末に思いを馳せるという構成のこの本には、外科医からヘッジファンドに転職し、巨額の富を手に入れながらも、違法取引で逮捕されたもの、数学の才能が有ったにも関わらず、劣悪な教育、生活環境の中、反社の世界に転落した者、海兵隊員として中東に従軍後、薬物依存に陥り、殺人事件を起こした者…などの生々しいエピソードが綴られています。
彼はそれぞれの人生が互いに交わることのない断絶した小世界の内部で起きていることに着目、そこから今日の米社会の分断の深層へと迫っていきます。巨大企業や利益団体の影響力が極度に増した米国は民主制というよりも寡頭制に近いのかもしれない。同時多発テロ事件(2001年)から連邦議会襲撃事件(2021年)までの20年間とは「アメリカ国民が共通のためのビジョンを失った時期」であり、米国に戻った彼は「政治・経済エリートに対するむき出しの軽蔑の強さに衝撃を受けた」と言います。米政治は火災がいつ起きても不思議ではない「ワイルドランド」(荒野)の状態に陥ってしまいました。怒りと恐怖が増幅し合い、ますます対立を深める米社会において、民主主義と資本主義の両立がどれだけ難しいかを痛感しながら、彼は市井の人々の小さなつながり、抽象的ではない、リアルな関係性を回復し、広げていくことの重要性を説くのです。
私の体験には、IT企業に勤めているとか弁護士、医師、会計士、教育者、政府関係者など優秀な大学で学び高収入を得て高い地位についている方が以前は多かったけれど、最近は昔の言葉で言うと「ブルーカラー」のゲスト達がとてもユニークで深く人生や宗教や芸術を考え、それが彼らの救いであり原動力であって、一生懸命しゃべっている私も高みを見る視線を思い出すのです。屋根職人のお兄ちゃんは仕立て上がったばかりの絽の黒紋付の着物を涼やかに着て、仏教彫刻の前で趣味は?と聞くとスマホの中の精密な自作の絵を見せてくれ、それに般若の面を付け足すと言っているのを聞きながらいろんな文化を自分の中に取り入れて、他人に感動やインパクトを与えるまでに伸びていく精神的余白を強く感じたのです。
ユタ州で働くメキシコ人の男の子はモルモン教がなぜ日本でも信じられるのかと質問してきて、モルモン教が多いユタ州に住んでいていろいろ違和感を持ち、それを信じる日本人もいるということが納得できなようです。高価な夏物の麻の着物を着こなしたふっくら美人の奥様はチョコレート工場で働き、駄菓子屋さんで私が目にとめたジブリのブローチを買ってプレゼントしてくれ、気持ちの余裕というか果てしない深さを心の中に大事に持っている女性でした。メキシコ人は祖先の魂を大事にして、日本のお盆のような「死者の日」にすべての死者の魂に祈りを捧げ花を飾るのですが、そうなると文化とは自分の魂と結びつく何かなのかもしれません。
ライアンは文化についても趣味についても考え込んで答えられなかったけれど、隣にいたふくよかで陽気な他民族のフローラを愛していることが彼の文化のような気がしてきました。私や夫はオーストラリア人の英語がなかなか聞き取れないのに、ライアンの発音はとてもわかりやすいというと、第二外国語が英語のフローラと話しているからだとそっと答えてくれて、ああ優しいと感じながら彼の文化は静かで礼儀正しくてそして優しい事だと思うのです。
世界の分断を救える道は、他人を理解するための努力であり、愛するための包容力だと思う、それは学校で教えてくれるものではない。自分で考え自分で感じ、自分で動いていくことが一番大事なのでしょう。ゲスト達は本当に多くのことを私に教えてくれるのです。