山の上の気配 再読

 これだけ暑い日が続くとさすがにメンタルが持ちこたえられなくなり、昨日は金町へ行って「こだわりや」という食材にこだわりを持つお店でお米を買い、宮城の脂ののったカツオのたたきと天然ブリと、そしてマックで夫の好きな照り焼きバーガーを持って帰って来てからは、クーラーを入れてゴロゴロしていました。何もしていないのに腰が痛い夫のためにぬるめのお風呂を沸かし、私は心臓も心配なのでさっと浸かるだけにして早めに寝ていると、気持ちがどんどん落ち込んできます。

 YouTubeの動画で、スイス人と結婚して男の子が3人いる北海道出身の女性が里帰りして夏を楽しんでいる様子を微笑ましく見ています。料理好きなおじいちゃんがカレーやギョーザや鳥の唐揚げを作り、日本語が達者になった孫達が美味しいと食べ、広いリビングで飛び跳ねて遊んでいるけれど、実はスイスで暮らしている時子供の足音や騒音について下の住人から苦情が出ていて、引っ越すにも一戸建ては物凄い値段で、物価もかなり高いのです。スイスに戻ってこの子達がのびのび暮らせるのか、国際結婚をしている日本の奥様は、メンタルをやられ日本に一時帰国すると、日本の水や食べ物にとても癒され、ほっとすると言います。

 久しぶりに今週は2件予約が入っていて、こんなに暑くても日本の電車やレストランや町のトイレに至るまでオーガナイズされきちんとして綺麗なことに感嘆する外国人が多いようだから、この東京のはずれの町の営みをなるべく涼しく味わってほしいと思うのです。目的や仕事があると体がしゃんとするし、暑くて食欲がなくてもいくらでも日本の食材は対応できるという有難さを思い出さなくてはなりません。夜のご飯が重くて食べたくないなら、冷たいお粥に梅干しを添えて晩酌の後に出せばいい。そうめんもそばも冷やし中華もあるのです。

 それにしてもたまに見るオリンピックの映像はときにびっくりするものがあり、柔道では畳に唾を吐く選手の姿が映し出されたそうです。イギリス人に選手村の食事がまずいと言われ、インド人にトライアスロンを行ったセーヌ川は汚いと言われ、中国人には審判の能力を問われ、なんだか世も末のようです。夏休みだと海外に旅行に行く家族が多いと報じられる一方、お正月に地震のあった輪島では崩壊した建物がそのまま残っているところがあるし、大雨被害で泥まみれの家がある山形の酒田に入ってボランティアをしている人々もいます。

 自分の意識をどこに持って行けばいいのか分からなくなってしまった時に、古いブログのサイトから最近誰かに読まれたらしい「山の上の気配」という2022年の文章を久し振りに自分で読みました。懐かしい記憶が蘇ります。あの時のすべてが、風景も風も太陽も山も、絵のように、物語のように、そこにある。自分で読んで、面白かったのです。ワードにも書き溜めた文章が沢山入っているので昨日整理して読み返して見ると硬い説明文調のものや悲観的なことが多く書かれていて、アシュレイにとてもナーバスな書き方が心配だと注意されたことを思い出しました。自分で読み返しても嫌になり、冗漫だと思われるものは次々削除していて、そして今日実家の墓参りの記憶を蘇らせた自分の文章を読んだとき、素直にそこへ行きたいと思った、そういう力を持ったものだという事が、客観的に嬉しかったのでした。

 もう一つ、着物デザイナーのキサブローさんの「幻虹日を貫く」という動画についてのものもチェックされて、改めていろいろなことを再び考えるきっかけになりました。これでいいのかなと、思います。娘が日舞の発表会を能楽堂でやるそうで、仕草は硬いし男っぽいし、しょっちゅう先生に指導されているのですが、手の表情を教わるとそうなんだとひどく納得するそうで、知らなかったことを今学べばいい、これがまた娘の引き出しにしまわれ、新しいことを生みだす支えとなるのです。

 これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知ると成す。これ知るなり 

論語に出てくる教えです。当たり前のことなのかもしれないけれど、私にとって一番大事な言葉です。