外国人の旦那様と結婚して海外にずっと住んでいるのだけれど、子供たちに日本の文化を味わってほしいと思う日本人の奥様から問い合わせをいただくことが増えてきました。スケジュールが合わなかったり、日本に住む両親が具合が悪くなったなどのアクシデントにより、なかなか来ることが実現しないのですが、9月に来たいとおっしゃる方からご家族と同行の友人父娘の写真が届きました。しっかり旦那様に肩を抱かれている奥様は小柄で優しそうで、幸せに暮らしている方なのだなあと思っています。
YouTube文化というのは私にとっては宝物のようで、偶然見つけた動画で海外にずっと住んでいる日本人女性の生活や考え方がよくわかるし、うちにやって来た沢山のゲスト達はこんな風に暮らしていたんだ、だから私の体験に対してこんな反応をしたんだと気が付きます。七月の終わりに来たオーストラリアのライアンは37歳のITエンジニアで、静かで礼儀正しい男性なのだけれど、生きるエネルギーがあまり発散されず、よく似合う紬の着物を着て柴又のお寺を歩き、仏教彫刻を見ながら好きなアーティストや宗教、趣味について聞いても答えられずに考え込んでしまうのです。
シリコンバレーを旅しているユーチューバーが「ここは世界の企業や産業の頂点の都市で、歩いている人はみんな裕福でエリートなんだな」とつぶやき、カフェテリアにいてもほとんどがノートパソコンを見ていて、IT都市なんだと実感しているのです。この前ここで働いている中国の女性が英語の話せないお母さんと小さなお嬢さんを連れて来た時、綺麗な方なのに化粧もせず肌はトラブルがあって、着物や日本の文化を味わう心の余裕が全く見られなかったことに驚いたのだけれど、インド人が多いという職場でしのぎを削って生きているハードさを感じていました。能力があってやる気があって優秀な女性でも、この世界にはそういう優れた人たちばかりしかいない、負けたらおしまいなのかもしれません。言葉が通じないお母さんは着物の入っている棚を物色して選んだのは臙脂の袷の色無地で、中国人は赤がラッキーカラーだったことを思い出し、長襦袢を着せると暑いから、着物だけざっくりと着せて馬の柄の名古屋帯を締めました。娘さんには赤の振袖を着せたけれどショートカットの髪はそのまま、面白かったのが7歳のお嬢ちゃんで、松田聖子ブランドの浴衣を着て三人で写真を撮ってから、かなり自由に遊びだし、子供用のボディに長襦袢を羽織らせ、布地や帯揚げ、帯締め、手拭いなどいろいろ使ってスタイリングをはじめ、楽しそうに作品を作り続けるのです。私の傍へきて「これを使ってもいいか」と必ず英語で許可を求めてからクリップを持って行ったり、なんだか助手さんのようにふるまう姿を見ていて、この子は日本の文化を楽しみ、おばあちゃまは自分の姿に満足して素敵な笑顔を浮かべている、でも稼ぎ手の若いお母さんは何かに心を吸い取られている気がします。
オーストラリア人のライアンと一緒に現れたパートナーが50歳の小柄でふっくらしたフィリピン人の女性だったという事にはじめはかなり違和感を持ったのだけれど、だんだん情熱的でフレンドリーな彼女といることがライアンにとって癒しになるんだろうと感じ、ライアンに趣味を尋ねて答えられなかった時に、「私はガーデニングが好きなの」とフォローしていた姿に彼女の純粋な魂を感じたのです。家の前の庭に少しずつ種を蒔き、旦那様と芽が出たと喜んだり、そこから見る夕日がきれいだとずっと撮影しているアメリカ国籍を取った日本女性の文化とはここにあるのだなと感じながら、いろいろな人生の選択という事を考えています。
この方は日本で聖書を深く学び、日本で知り合ったアメリカ人と結婚して渡米してずっと旦那さんを支え続け、60代で死別してからはアメリカの大学院へ入って必死に努力して優秀な成績で卒業したのだけれど、亡くなった旦那さんも大学院を二つ出て勉強したそうで、なんでそんなに勉強ばかりするのかと学校嫌いの私はとても不思議なのです。大学でいろいろ資格を取った彼女がしていた様々な仕事の中に、オレゴン州で観光に訪れるゲストをいろいろなところに案内しガイドするというのがあり、毎回違うゲストを違う場所に連れて行ってガイドすることに最後は疲れてしまい、自動車事故を起こしたのをきっかけにやめてしまったというのを聞いて、私とは正反対だとびっくりしたのです。
私がガイドするのは柴又のお寺のみ。何百回と通い説明を繰り返すのだけれど、毎回違う着物を着た違うゲストが違う感想やリアクションをしてくれ、私はそのたびにそれをもとに小さな物語を作り、引出しにしまうのです。理論でも学問でもなくただの感覚と記憶だけ。でも今までのゲストとの触れ合いの中に、私達が一番大事にしなければならない文化というもの正解があった、それぞれみんな違うものだったし、私の正解ではなく、彼らの正解だったけれど、それは永遠にずっと考え続け、永遠に勉強して深め考え続けることが出来、それ自体が進化していくもののような気がします。文化とはなにか。それぞれのゲストは自分たちの解答をそっと最後に置いて行ってくれていました。それを、一つずつ大事に物語にしておきます。