世界が変わる   世界を変える

 8月5日あたりに、大きな異変が起きるという記事をネットで見かけ、地震かもしれないとあって、この暑さの中で停電や断水になったら大変だと案じていました。輪島ではいまだ復興していないところもあって、避難所暮らしの方もいるというし困難が続いているのを知ると、世界中で起きている災害や戦争による破壊は、このままでは回復しないのではないかと思ってしまいます。

 先週末から不穏な気配だった株式市場は8月5日に大暴落し、それまで順調に株価が上昇してウキウキしていた夫はいっぺんに奈落の底に突き落とされてしまいました。彼の人生は良い事と悪いことが交互に起こり、トータルとして良くなるという流れなので、浮かれている時よりシビアな方が良い時もあります。夫は仮想空間の商いで実質影響はないから静かにしているけれど、世の中や経済界や投資家は大変で、最近は若い世代もNISAを使っているから初めてのショックでしょう。実際の世界で辛酸を舐めてきたという経験は、メンタルを強くし俯瞰して物事を見ることが出来るという事を、私は高齢になって初めて知りました。

 コロナが終息してから若いアジア系の男の子たちが何人か来て、人と接触しない学生時代を送らざるを得なかった彼らは、それまで観光でのんびり日本を楽しんでいたヨーロッパの若者たちとは違くて、生身の人間との接触に飢えている感があり、コロナ禍の中で孤独な学生時代を過ごし、どんどん自己責任していく社会にあって、繋がりを求めながらも、特徴を一概にはまとめられない矛盾の世代なのでした。学生時代の時間も奪われ、いつ世界が終わるかわからないのに、なぜやりたくもない仕事をしなければならないのかというニヒリズムやあきらめの空気が広がっている中で、小さな丁寧な暮らしに向かう人もいれば、もっとアクティビズムで頑張ろうというラディカルな考え方の人もいた。親世代とかミレニアム世代は、仕事がある程度安定した中でコロナ禍に入ったので生活の基盤があるけれど、Z世代にはそれがないことが大きくて、アメリカは現実が明らかに「終わっている」からラディカルなアクションによって変化を起こさなければならないという切実感があり、アメリカのZ世代は特にコロナ以降ネット漬けが悪化したからこそ、リアルな世界が恋しいという矛盾を抱えています。ネットとリアルでは人との交わり合い方が違うことを、貴重なティーン時代にコロナにより隔離を経験しているからこそ実感しているのでしょう。コロナ前にGAFAで働くゲスト達が何人か来て、隆盛を極めていたクラウド産業に働く彼らの感情が妙に稀薄なのに違和感を覚えたのだけれど、本当に地に足を付けて暮らしていないということは、とても危険なことだと今あらためて思っています。

 若い世代はいつ死ぬかわからないという危機感や、保守的な大人たちへの怒りによって既存の価値観が揺らいでいるからこそ、危機を打破するための新しいものをつくり上げていく可能性があるし、「疑う力」がZ世代的価値観の中核にあると捉えられています。今は誰でもSNSにアクセスできるので、ニュースや大人たちが言う社会の価値観の方が間違っている、という現実を知ることができます。株価の暴落が始まる前に、マスコミや新聞、大企業の物事に対する真実性や倫理観が歪みきっていることに怖ろしい想いを持ってしまい、食べ物や薬などいろいろなものが危険という事を承知しながら、利益を得るためには見ないふりをして突っ走っているという事を私は痛切に感じていました。そういう価値観の会社で働けるか、有名な一流企業に勤めるため小さい時から一生懸命勉強して努力するという事を、若者たちは納得してはいけない。この大暴落や今開催されているオリンピックの乱れたモラルを見ながら、自分が生きたい世界を作りだすことが必要だし、考え方の深度を変えていかなければならない、生きていく上での大前提は、正しいことをする、正しく見る、正しく考える、それに尽きると思うのです。正しい自分を作りそれを拠り所にする。心の汚れや迷いを取り除くための努力を怠らず、真の自己と自分自身が一体となることが出来ること。

 私は他者を救うことが出来るわけではないけれど、外国人に美しい着物を着せて文化を味わってもらうことにより心の新しい拠り所を見つけて何かの支えに少しでもなって欲しいと思うのです。このひととき、私はいつもあなたのことを考えている、想っている、それだけでいいのではないか。すべては美しい、すべては新しい、すべては真実である、すべては光っている、そしてすべては自己である。自分の心の持ちようで生きて行けばいい。悟りは自分の体で感じる。幸せで、一人でいても自分を十分満たせるものを持つ。あるがままでしかありえない。心が汚れたら拭けばいい。落ち込んでいる時が大切で、落ち込んでいる時にどうするか。ある日突然生きている存在価値すら危なくなってしまう、子どもであっても大人であってもお構いなくそういうものが襲い掛かってくるかもしれないという危機意識を持っていなければならないのだと、最近特に強く感じています。

 どこにも解答があるわけでなく、自分で探し、自分で生きて見るしかないのなら、自分が心からやりたいことを目一杯やるしかない。すべてはあるがままにある。そのあるがままのものが、あるがままに見えてくるまでには苦しい道程を経なければならない。一度徹底的に疑い、否定し、模索してみなければならない。あたりまえのことが当たり前でないから、人間界のさまざまな苦しみがある。今必要なのは、リベラルアーツをたくさん体の中に積もらせること、そうすると世界はより深く、あたたかく、永遠の反応を示してくれる。

 人は鍛錬して習練して何かのスキルをものにすることに没頭し夢中になります。自分の奥底にあるものを出したい、出さないと身が持たない、才能があるとかないとかいうことではなくて、それは人間が生きていく上で一番大事なことなのかもしれない。遠くへ行ったことがなくても、地の果てまで行っていても、沢山の人を感動させるパフォーマンスをしたいと思うし、本当に人間の心というものは何なのかと思いますが、いつも自問自答することがやはり必要なのでした。

 世界が変わっていきます。世界を変えていきます。