フェンシング 見延和靖選手の道

 フェンシングは私にとってよくわからない競技で、メダルを取ったと報道されていてもあまり感動が沸かずにいました。日本に帰国した選手のインタビューで、見延和靖選手が「千宗室さんに結果の報告をしたい」と言っているのが気になり、どんなことかと調べ出したら、なんだかすごいコメントをいろいろ発信している方だと知って驚きました。

 「見延和靖という”道”を生きる。常に魂を燃やし、生涯をかけてその道を極めていきたい。フェンシングは、今、現在、自分が最も全身全霊をかけて魂を燃やしている道であり、さらなる高みを目指して突き進んでいる。しかし人生を考えると、フェンシングだけが道ではない。自分を織りなす道は沢山あってよい。自分自身の魂が揺さぶられたモノ、コトはとことん極めて行きたい。農業革命、産業革命、情報革命、AI、スマホ革命と時代が進化し続け、人の取捨選択が多様化、複雑化される大きなうねりの中で、今後は人の生き様に価値が生まれる時代になると考えています。何をなしたか。自分の人生が終わった時に出来た道そのものが、見延和靖だったと言われるようにこの道を創り続けていく。」

 凄く熱い方です。37歳。

「生まれてきたからには、何か世の中に価値を見出したい。価値はいろいろありますけど、僕が考えるのは何かを生み出すことだと思うんです。0から1、何もないところに何かを生み出すこともあれば、100から101、突き詰め切った先で生み出せるものもある。僕のこれからの人生はまさに後者。職人的な生き方なんじゃないか、と。東京オリンピックで金メダルを獲ったけれど、でも自分のフェンシングに満足しているかといえばそうではない。これならば、と満足できるフェンシングができても結果が伴うわけではない。その時々、いろんなもやもやがあるけれど、やっぱり自分のスタイルを貫く、自分の道を行く中でオリンピックの金メダルがある。それが理想で、自分はそうありたい、と考えるようになりました」最終的な目標は、 “史上最強のフェンサー”になること。このことを最大のテーマに掲げて、フェンシングを突き詰めていこうと考えています。勝ち負けで言えばもちろん「勝ち」なのですが、勝ち負けだけにとらわれずにフェンシングを突き詰めていくことが大事だと思っていて、こうした考え方は職人に通じる部分があるように感じています。フェンシングにはコレといった正解がなく、自分なりの正解を見つけていかなくてはならない競技のため、手探りの作業のなかで自分を好転させていくには、どれだけ自分を信じられるかが重要なポイントになります。ピークをつくる、ピークの波を上げていくときは、まず心を整えて、身体を整えて、技術を整えて、という順番でつくっていきます。フェンシングは、特にエペの種目は、ただ動きが速ければ勝てるという訳でも、ただ力が強ければ勝てるという訳でもありません。ベテランの選手でも経験を活かして勝つことができますし、いろいろなところに勝つ要素が潜んでいるため、意外な人が優勝することがあります。新しいチャレンジとか、一歩踏み出すことはすごく勇気がいることで、その一歩がそのあとの百歩よりもエネルギーがいるものです。その一歩は難しいけれど、とりあえず経験してみる、チャレンジしてみる、怖がらずに勇気をもって踏み出してみることに、ワクワクする気持ちを持ってもらえたらいいのかなと思います。」

 
 五輪への準備期間は苦しみもある。骨身に染みているので、「もう一度それをやるのか」という葛藤がありました。パリで金メダルを取れたとしても、「前回やったじゃん。もう十分やったでしょ」という自分と、「いやいや、まだまだ体は動くし、最強のフェンサーになるという目標を達成していないだろう」という2人の自分がずっと心の中で戦っているような感覚がありました。

 そんなとき、もう一度険しい道を自ら選んで歩もうと思えるきっかけとなった方との出会いがありました。そのひとりが東京五輪の翌年2022年10月ごろにお会いした裏千家の元家元、千玄室さんです。たまたまコーチの中に裏千家で働いていた方がいて、東京の今日庵という市ケ谷にある道場でお会いしました。お話ししたのは1、2時間でしたが、101歳とは思えない大きなエネルギーを感じました。

 東京五輪で金メダルを取り、世界ランキングも1位になった。目に見える目標は成し遂げたが、自分に満足していない。まだ引退するつもりはないけど、またここから同じ道を歩むのかと思ったら次の一歩が踏み出せない。自分の中でもどかしさがあるのですが、どうすべきでしょうか……という、抽象的な質問をぶつけたんです。すると「大層な悩みですね」と。
 「大きな岩があってそこに枯れた木が1本生えてます。でもその木にも花を咲かせなければいけません」と言われたんです。

そのときは「なるほど」と言いましたが、正直「?」でした。しばらく考えて、導き出した僕なりの解釈は「畑や山に木が生えるのは当たり前だけど、岩に枯れた木が生えているのは普通ではない。どんな環境、状況でも木は植物として生まれたからには花を咲かすという仕事がある。金メダルを取ったから偉いわけでもなく、これまでやってきた通り、また花を咲かせないといけない。頂点にたどり着いたからといって、そこで道が終わるわけではない。そこで歩みを止めるという考え自体がおかしいのではないか」と。「道」というのはきっとそういうことだと思いました。僕自身、フェンシングというものをひとつの道として捉え、フェンシングの職人であると思っていました。その中でお茶の道や禅を極められた元家元の言葉はすごく力強く僕の中に響きました。

 競技を続ける覚悟がつき、東京五輪の後にプレースタイルを大きく変えました。練習メニューも変わって実戦的な練習がガクンと減りました。一方で、ケアやトレーニングに充てる時間や自分の内側を見つめる時間がかなり増えたと思います。日本人選手は小柄なので、いかにフットワークを生かして、中に潜り込みながらスピードで相手の先を取るか、というプレースタイルが得意とされてきたんですが、足や膝のケガに悩まされたり、年齢を重ねていくにつれ、その俊敏性が失われていく。これはマズイなと。そこで、スピードを落として手と足のバランスをリンクさせながら、かなりディフェンス寄りのスタイルに変化させました。突くのではなく、(剣を)置いている場所に相手が来るように仕向けるような感覚です。「間」をどれだけ相手に悟られずにタイミングを取れるか。そういう戦術になると、気配のオンオフが大事になってきます。」

 フランスはフェンシング発祥の地ともいわれ、有観客というのもモチベーションのひとつです。フランス人はフェンシングリテラシーがすごく高い。お客さんも突いたから喜ぶのではなく、ちゃんとフェンシングを理解したうえでプレーを称賛する。日本もそうですが、世界でもなかなかそういう環境の中で試合することがありません。パリは自分のためでもあるけど、自分以外の人のために挑む大会でもあります。だからこそまた一歩を踏み出せた気がします。自分の中にある目標に向かって歩み続けていくことこそが大切だし、まだ自分の求め、極めるべき道はもっと先にある、という思いがあるのです。」

 

 明日はトライアスロンのエリートアスリート夫婦がスペインから来ます。メキシコ人のマインは5年前に一人で着物体験に来たことがあり、その時彼は韓国で試合に出ていたのです。かなり上位に入る選手だったらしいけれど、パリには行かなかったのでしょうか?あまりに暑いので体調が心配だけれど、二人ともアスリートなのだから、私がついていけるかが問題なのかもしれません。

 偶然見延選手の記事を見つけてびっくりしながら読んだのだけれど、いろいろなことが変化していく今、一番必要なのはいかに考え続けていくかという事なのでしょう。君たちはどう生きるか。若い人たちの思いを受け止めて、私も頑張ります。