最近のユーチューブは年代、国籍を問わず多くの人々の生活がリアルにみられて面白いのですが、90代以上の高齢者の生活やかかわりを孫世代が撮影編集し、動画にあげているものも増えています。興味を持って見始めてるのだけれど、割と食事や農作業の場面が多く、70代では一人暮らしの不安を台所作業をしながら淡々と語り続けたり、夫とおはじきをしているシーンを写すのもあって、自分と同じ年代の方々の生活を見ながら共感したり励まされたり参考にしたりする時代に来たのだなと思っています。
そんな中でアメリカで38年間暮している女性のユーチューブの題名が「アイデンティティ・クライシス」というのに驚いて、じっくり見ました。アメリカ人と結婚して国籍もアメリカだけれど、自分はアメリカ人ではなくそして日本人でもなくなってしまったことに気づいたのは、自分が住んでいる小さな町の博物館に入って、そこにあった辮髪で細長い髭を生やした中国人がテンガロンハットを被りブーツを履いてアメリカ人の恰好をした等身大の写真を見た時だそうです。自分はどこの国の誰でもない、全くちぐはぐな人間だとわかたとき、完全なるアイデンティティ・クライシスに陥ってしまった。存在価値があると思っていた自分を見失ってしまう。外から見た自分の肩書を持ち、常に他者との関係性の中でアイデンティティが確立されていることを求められていると、自分は何者なのかという根本的な問いが起きた時、危機意識が働き始めるのかもしれません。彼女は葛藤を経たのち、自分自身と向き合い、変化や不確実性を受入れ、自分を過度に評価せず柔軟で開放的な心構えで自分を受入れようと思い、不安と混乱に圧倒されるつらい体験から成長の機会を得て、自分というアイデンティを理解し大切にして、より充実した人生を送ろうとしています。自分の選択、あの時これを選んだからこちらの道に進んだけれど、違う選択をし直したら、もっと生きやすい人生だっただろうか。人は永遠に悩み続けるけれど、結局どんな選択をしたとしても、同じなのなら、自分自身を信じ、自分の人生を大切にしようという意識が、他人の心の端に届くことがこともあるのです。
私は70歳になって体中に異変が現れ、メンテナンスに追われていると、もう前のようには動けないと悲観的になり気持ちが落ち込んでいます。南海トラフ地震が心配され、昨日の夜もスマホが緊急地震速報の警報を鳴らし、結局ここはそんなに揺れずにいて、あとでネットを見ると「新聞もメディアもテレビもマスコミも真実は決して発信しない」というサイトが目に留まり、この警報もフェイクなのかしらと思ってしまいます。何が真実だろうか。
自分の中の真実と本当の知識と思惟とすべをたよりにしして、今日一日を精一杯生きることしかアイデンティティの確立につながるものはないのでしょう。千宗室大宗匠の「岩山の枯れた木に花を咲かす」という言葉が蘇ります。