着物着付けなどでやって来る日本の女性たちと話していて、外国人のゲストと全く違うと思うのは、宗教観を尋ねることが出来ない事です。頭の中に全く何もない、否定とか肯定とかいう以前の、無なのです。どうしてだろうとずっと思っていて、山中さんの本を読んでやっとその訳がわかりました。
「日本人の宗教偏差値は世界最低レベル」「世界の宗教は知らない、自分の宗教もわからない日本人」島国で、世界の宗教を信じる他民族と本格的な戦争もあまりなく、日本的な宗教観、価値観でぬくぬくとやってこられ、もともとあった自然崇拝の神道を宗教と意識しないまま八百万の神を信じ、神様を信じたまま仏教を受入れたというあいまいな宗教観の上に日本人は成り立っています。沢山の外国人と柴又のお寺の仏教彫刻の前で宗教の話をしながら、今だ私の宗教観はいい加減で、アメリカの高校で仏教について学んだというゲストから、法華経について説明されてびっくりしたことがあるのです。
うちは檀家ではないので、お寺との接触はお葬式や法事の時だけですが、お嫁にきてから墓参りもお彼岸やお盆の行事もきちんとするし、毎朝お線香を点て、神棚も参拝するけれど、仏教徒だと言い切れない気持ちでゲストと話すことが多いのでした。宗教は人の心の根底にある価値観と深くかかわっていると山中さんの本で知った時、長年一緒に暮らしていた義母と宗教行事はこなしてきたけれど、彼女の心には宗教心は無くて、価値観があまりに違い苦しい想いをしてきました。日本の学校では宗教は教育されないと山中さんは言うけれど、義母は仏教の学校で学んでいるし、私の娘たちは高校はキリスト教の学校だったけれど、宗教の本質を感じるまでにはいたらなかったようで、私は公立だったから唯一道徳や倫理の授業で宗教心について触れられていた記憶があるけれど、教える先生もあいまいな言い方しかしなかったのです。
色々な歴史の変遷を経て、日本の仏教は江戸時代になるころには「他力本願」や「専修念仏」が定着してきて、自分の頭で考えることを伴わなくなり、本来の宗教の「自分とは、神とは、生と死とは何か」という人間の根本的な疑問を求める抽象的な思考とはかけ離れたものになっていきました。ひたすら念仏を唱えればいいとなると「考えること」は棚上げとなり、哲学的思考が苦手という弱みになっていき、現実的な目の前の悩みの解決を宗教に求めるようになっていきました。でも日常的に使う「ありがとう」は仏教用語で、「何もいらない、あるがままで、存在自体が有難い」という仏教の教えから来ているし、「いただきます」も仏教からきた言葉で「動植物も命あるものであり、命があるという点で人間と同じ」と考え、その命を戴くと感謝しているのです。
ゲストとキリスト教と仏教のちがいについて話すと、すべてが神さまの恵みでありお思し召しだと考えるキリスト教は時にとても冷たく厳しいものだけれど、森羅万象に神様が宿る神道や、人としての悟りを説いている仏教の方が穏やかで心地よいと言われることもあるのです。科学があまりに進歩し、AIがいたるところで存在感を発揮している今、私はいろいろな国から来る様々な職業のゲストを迎えて思うのは、ITエンジニアやクラウド産業で高収入を得ているであろう人々が時として見せる心の空虚さと、余裕のなさです。一つの方向しか見ていない、視界が限られている、人生はそんなにうまい事ばかり行かない、思いもかけない雲がかかってきた時の心の苦しみが、どん詰まりになっていく気がします。
実は私たちが生きている世界は、多次元世界であると言われています。例えば、現在私たちの地球が存在しているのは3次元の世界ですが、同時に5次元、11次元といったように、違う次元の世界も存在しているのです。私たちは今、縦・横・奥行きの3次元の世界に存在していますが、アセンション(魂の世界でいうレベルアップの意味)が起こると5次元の世界に行こうすると言われています。5次元の世界とは、現在の物質的な世界ではなく意識的な世界の事です。意識的な世界というのは、私たちが現在持っている「時間」や「空間」の概念を超越した世界で、5次元の世界では、行きたいと思えば、瞬時にそこに到達できるといわれている。5次元の世界では価値観も大きく変化し、物質的なものやお金は絶対的価値ではなくなります。今のこの世界は、人間同士でも人より抜きんでるために人を蹴落としたり、勝ち負けにこだわるあまり心が歪み、経済的には豊かになっても意識レベルが低くて豊かではない状態の人を多く作り出しています。でも意識や心の成長や上昇こそが、真の豊かさだと気づき始めている人が増えている。すべてが意識の問題なのかもしれない、この世界にアセンションできる遺伝子とできない遺伝子に分類されるということ、心が歪んで人を蹴落としたり意識レベルが低い人達は入れない世界だということです。頭は常に天を指し、いつも前を見据えて、人や世界を再生するためにはどうしたらいいか、やるべきことをやる。
人には、すべき時にすべきことがある。それは、その人がすべきことであり、他の誰かが代われるものではない。世界はとうに変わり目に来ています。独自の思想を持ち、スキル、感受性、表現力、鍛錬を重ね、感覚を研ぎ澄ます努力をし続けること。ひたむきな愛情と誠実さ、勤勉、穏やかさ、感謝、永遠の愛。今大切なことは何かということをできるだけシンプルに考え、悪の本体である文化的無気力、無自覚、無反省、無責任からは離れた場所に昇って行けばいいのです。
宗教について、あなたはどう思いますか?私はこれからもゲストに問いかけていきます。