テレビを見ないので、台風情報がよくわからなかったけれど、甚大な被害はなかったようです。スマホを見ていると目や頭がとても疲れるようになり、なるべく見ないようにしているけれど、ネットも正しい情報なのか疑わしい時もあり、何が正しいのか、正しさとは何か、そんな基本的な事すら闇の中に隠れてしまっている気がします。子供たちも小さい時からスマホやIpadであやされる時代なのだけれど、これでは視力が悪くなるのは当然だなと納得しています。
白内障を手術したころのブログがサイトにピックアップされていて読み返してみると、宮崎アニメのもののけ姫の中のアシタカのセリフ「曇りなきまなこで見定め、決める」という言葉についていろいろ書いてあります。「問題解決」を行なうためには、根本的な「問題」とは何なのかを見定める必要があり、そういった姿勢が、「全体」を見ようとする「冷静」な視野を生み出します。アシタカの出身の村は、このような構造を教えられる程の「成熟」があったと考えられ、この村は「曇りなき眼」の価値や意味を知っており、その価値や意味をアシタカはその村から学んだのです。人間が本当の意味で「成熟」を実現し、「成熟」した大人達の中で子供が学び成長するなら、アシタカのように世の中の様々な「問題」を「解決」できる人間が誕生しやすくなるとあるのです。
人間の魂は何度でも転生を繰り返してきたと言います。度重なる経験の蓄積のなかで温められてきた何かの才能が自分の中に在る。それを見つけるには魂の快・不快に意識を向けることが大事で、古い価値にしがみついて居たり何かしらの労働に依存していると遅かれ早かれアイデンティティ・クライシスを迎えてしまうというのです。70年生きてきて、沢山の選択をしてきたけれど、私は人とかなり違った感受性と性格を持ってしまい、人を傷つけ不快に思わせることを多々しながらここまで来ました。あの時違う選択をしていれば違う人生だったと、後悔し情けなくなるけれど、自分の魂がどうしても受け付けないことをすることが出来なかったのです。自分だけならまだしも、家族や周りの方々に申し訳ないと苦しい想いに捉われるけれど、今現在の世界の混乱を見ていると、だからあの時頑なに拒絶してきたのだと納得しています。
30年前にサリン事件が起きた時、首謀者の医師や優秀な科学者が何らかのアイデンティティ・クライシスに襲われ、システム社会に迎合することができず、オウム真理教に救いを求めてしまったことは、私たちにとって大きな分岐点だったと、村上春樹は”アンダーグラウンド”という本の中で言っています。私もそうだったし、今の若い親たちもそうかもしれないけれど、勉強していい成績を取っていい学校へ入って良い教育を受けてという連鎖の中に入ることが子育ての一番の目標で、それ抜きには幸せは来ないとまで考えていたけれど、娘はそれに抵抗して、反発し、そして今何とか我が道を歩んでいます。コロナウィルスやウクライナ紛争、異常気象、経済の不安定など様々な問題が噴出する中で、教育連鎖の中に入ることがこの混乱の原因でもあったのではないか、Z世代と呼ばれる若い世代は、知識や学びはひとと争うためにあるのではなく、自分を高めなすべきことを見つけ、人のために、国家のために、地球環境のために役立つことをしていくことだと気づいて、自分達の力で努力している。それに引き替えたえまない争いを繰り返している権力者たちは、自分の魂のありかを探す遺伝子を持っていないのかもしれません。最近体調を崩して、何とか回復しようと食生活の見直しをしてみると、今まで平気で食べて来た食品の多くに添加物など体に害のあるものがたくさん含まれていることがわかり、外国人が絶賛しているコンビニ商品やファーストフード、冷凍食品、輸入製品など、もう怖くて買えないし、電子レンジも使えなくなってしまいました。
一流大学を出て一流企業に入り、経済を成長させるために危険な商品や薬の開発を進め、大丈夫という言葉のもとに突き進んできたエリートたちは、アイデンティティ・クライシスに襲われることもなく神経をマヒさせてシステム社会に迎合し、経済成長を進めてきた弊害が、今一気に噴き出しています。魂の快、不快に意識を向けること、居心地の悪さ、後味の悪さなど、五感の違和感は、本能として大事なもので、人間の魂は何度でも再生を繰り返すのなら、結局最終的にクリアな風景の中で生きるために、クリアな世界を表現するために、その存在を明らかにするために生きていくことが一番幸せなのです。息をつける場所。魂がほっとできる場所。 感受性や想像力を失った社会 の中で精神を保つには、想像力の中から始まる精神のゆがみから自分を取り戻し、 呪いを打破できるタフな人間になることでしか生き延びていけない。
この世の本質はすべてエネルギーで、目に見えない波動が時間をかけて結晶化したものが、いま目に映っていて、自分が放った波動がまるで鏡写しのように世界からはね返っています。自分の魂にとって最も純粋な在り方とは、心の情熱に真っ直ぐに従うことであり、そこで生まれた行動力に愛という方向性を持たせること、個人の小さな情熱が社会を大きな変容に導く時だから、自分の道を堂々とつきすすむ時代なのです。内なる情熱に火を点けて、愛に満ちた未来に向かうこと。自分の選択を信じて突き進むこと。
情況は刻々と変化しています。今自分に出来ることがあることが有難い。曇りなき眼をを持って最後まで努力を続けるため、宗教や民族についての考察を深めて、ゲストと会話できるようにしていきます。