小さなカミングアウト

 毎日あまりに暑くて、ゲストの予約が入っていなくてよかったと思う反面、お医者さん通いしかしていないとさすがに気が滅入ってきます。コロナ前は病院にはたくさんの高齢者が待合室で雑談することを日課としていると聞いて、みんな暇なんだなと思ったことがあるけれど、70歳になって体調不良になり病院通いをしていると、これも必然だなと思うのです。

 右膝が少し腫れてきたので月一の診察を受けに整形へいき、嘱託の年配の先生に診てもらうと、ベッドの上で右膝をひょいと曲げられた時激痛で声をあげてしまいました。「このくらいで痛いんだ」といいながら先生は前に撮ったレントゲン写真を見て、「アメリカだったら90度曲げられればエクセレントで、椅子生活なら治療完了なんだよ」とのこと、でも日本は正座までできないと困るので、物療治療を試すように言うので、実は整骨院だったので低周波やマイクロ治療は良く知っていると話すと、ちょっと驚いた風で業界の細かい打ち明け話をしてくれました。今痛む場所の治療は、リハビリでも物療でもなく、ヒアルロン酸注射かもしれないと言われ、それもありかなと思いながらとりあえず今日は二階へ上がってマイクロと低周波をかけ、係の女性にも整骨院だったことを話し、こういう治療を長年していたけれど、高齢者の慢性疾患はなかなか治らないと話をしながら、二人で納得してしまいました。

 医者通いをしていて思うのは、流れ作業のように患者を扱い顔は見ないでひたすらパソコンの画面を見るタイプの医師と、雑談して関係ないことを言いつつ実はそれも相手の状態に探りを入れて、どんな治療をするか考える医師がいるという事で、自分のことをきちんと見据えた上で相手のことを考える、それが結局物事の本質をつかむ前提だという気がしています。自分の利益のことばかり考えるのは単なる欲に過ぎない、苦しい時ほど人に役に立てることを自分ができるか、何を努力すれば相手のことを思いやり、大きな世界を見ることが出来るかを、まず考えなければいけません。

 近くで民泊をしている中国の方が、なんとうちを借りことが出来るか問い合わせてきました。外階段があるので、一つのフロアを借りて自分達が住めるかと言われ、彼らは仏間や神棚や和室など諸々含めてすべてが成り立っているこの家のような造りは想像できないのだろうと気が付きました。ベッドルームとバスルームとキッチンとリビングが在ればいいアメリカンタイプの家が増えています。同じような家に住み、同じようなものを食べ、同じように考える、世界中が同じだったらつまらないではないですか。中国の方は商売上手でバイタリティがあるとエアビーの仕事をしながらいつも思うのですが、反面とても恐ろしい事態になることも考えられる、中国産の食品は危険だというサイトを見ながら他民族と一緒に暮らすことの功罪を思います。

 サンマがたくさんとれたとニュースで報じられたので、橋の向こうのスーパーまで日傘をさして歩いて買いにいき、帰りに白い雲を見ながら橋の上を歩いていて、中学生の時もたまに歩いて学校から帰ってくるとき、同じように白い雲を眺めていたなと気が付きました。15歳の夏、あれから55年たって、70歳の私が同じ道を同じように歩いています。進歩はあったのだろうか。高校で受験勉強や大学進学の意味がどうしても解らず、逃げ出すことしか考えられなくなった私が歩んだ道は、本当に混沌としていました。でも、今私は中学英語でゲストと楽しく語り合い、日本文化を楽しむ手助けをしている、少し話せるスペイン語はとても重要で、メキシコ人やチリ人、スペイン人とコミュニケーションがとれると、彼らはとても喜ぶのです。

 今度はクウェートからゲストが来るとわかり、中東やイスラム教についての知識をしっかり身につけようと努力していると、いまさらながら私はこういう勉強が大好きだとしみじみ思うのです。高校の時、こういうモチベーションが持てたら、私はもっと違う道を歩んでいたのかもしれない、でもゲストに対して思いっきり愛情を注ぎ、一期一会を大事にするのは、自分自身の過去を振り返った時の懺悔の気持ちがあるからなのかもしれません。語るべき言葉を増やし、のどかさんのようにレパートリーを自分のものにしていきたいのです。やることは沢山あります。だんだん元気が出てきました。