プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

 懐かしい題名です。50年前、東大教養学部の公開自主講座に通っていた時、助教授の折原浩先生に教えていただいたマックスウェーバーの本です。なぜ興味を持ったのか覚えていないけれど、学校教育にはどうしても馴染めないけれど勉強するのは大好きだし、自分で自由に好きなものを学ぶ方法は結構あって、ロマンロラン研究会とこのプロ倫の講座、そして富山の足立原貫先生の人と土の大学で、山奥の廃村を復活させそこで農業と哲学を学ぶという集まりにも随分通いました。

 ロマンロランでも、プロ倫でも、最後の方で一人で発表するという機会を戴いたのですが、能力も思考経路も育っていない私は、簡単な感想程度のことしか言えず、聞いていた優秀な東大生にはあきれられてしまったけれど、優しい折原先生は「面白く聞かせてもらった、今後の頑張りに期待します」とフォローして下さり、お正月には有志でお宅に御邪魔したりして、分厚いレジュメと共に私の若き日の大事な思い出になりました。

 結婚して家業、子育て、介護に追われ50年たち、エアビーの仕事をし出して沢山の外国人と接触するようになり、コロナの空白と義母の看取り、そして70歳になって体調を崩したこともあり、8月は休養しているのですが、9月にクウェートのゲストが来ることもあって、世界の五大宗教入門という本を熟読しています。そして昨日はキリスト教についての章を読んでいて、クリスマスはともかく復活祭、イースターなど、行事としては知っているけれど本当の意味が解らずいた私にとって、歴史の的確な説明を読みながら、イースターのプレゼントをたくさん持ってきたゲストや、若い海軍将校の女の子が復活祭の休みに日本を旅行していて着物体験していったことなど、何も考えなかったけれど、実はいろいろ意味があったことに気が付きました。

 次女は中高一貫のプロテスタントの女子校に通っていて、宗教行事もいろいろ体験し、聖書の言葉もいろいろ読んだのですが、今一つ根本的なことがわからずにいました。この本を読んで、プロ倫の意味、プロテスタントとは何か、初めてわかったのです。ゲストにクリスチャン?と尋ねるとカトリックと答えるケースがほとんどでしたが、最近「プロテスタント」と答えたゲストがいて、何処の国だったか忘れてしまったけれど、意外でした。でもプロテスタントは多いはずなのに、宗教は信じていないという若者も多くいて、もし私が50年前に戻ったとしたら、実例として、実感として、プロ倫についていろいろ語ることが出来るのだと思っています。

 ルターの宗教改革後、プロテスタントの教徒が増え勢いが増すにつれてカトリック側の危機感も強まり、スペイン、ポルトガルによる世界への大航海は世界各地へのキリスト教の伝播につながり、中南米も植民地化されることでカトリック教徒が増え、ヨーロッパと地中海周辺の国々の宗教であったキリスト教が全世界的に広がりました。これとほぼ同時期のルネサンス時代には、神優位の時代から人間中心の時代への変化が起き、時代は合理主義・科学主義をベースとする近代に入っていきました。識字率が高くなり、一般庶民の知的レベルが上がったので、プロテスタントの国々は18世紀の産業革命の波にうまく乗ることが出来、技術力が上がり経済発展していったけれど、プロテスタントは個人主義的な傾向が強く、自分なりに聖書を解釈し、自分がいいと思えばそれでいいという人も少なくなく、神の前で自分が主体的に動く、自主的に考えて行動するという現代の働き方に近いのだそうです。職業は神が与えたものであり自分の仕事に専念することが修行であり、あらゆる欲望を絶ち、禁欲的に働くことが救いとなるという考え方は、その後のプロテスタントの職業観に大きな影響を与えます。

 こういうことを折原先生は丁寧にレジュメにしるし、毎回配って下さっていたのですが、今の私にはすべてが実感として迫って来るし、精密で膨大な仏教彫刻の前で、なぜ彫刻師はここまでストイックに彫り続けられるのかという疑問を、宗教は違えどプロテスタントの職業観に近いのかもしれないと思ったりしています。この世のあらゆるものは連鎖で、どこかで繋がって居る、阿吽のように、なんて考えることはとてもわくわくすることです。彫刻師さんたちは天職だと思ってこの仕事を続けていた、天に与えられた自分の本当の役割があって、それを全うしなさいという事で、天職は英語で「Calling(神の宣告)」だし、彼らの才能は「Gift(神の贈り物)」だとありました。「Gift」は天才的な能力だそうで、今の混沌とした世の中だからこそ「Gift」を与えられる能力のある人々の姿を見ることが出来る幸せを感じています。

 折原先生は88歳になられ、ちょっと体調を崩されているようですがお元気です。あの時あんなに熱心に聞いていた講座が、こんなに役に立つものであったことに深く感謝しています。それを感じながら仕事ができること、やっと天職が見いだせたのです。神様はいらした、有難い事です。次はイスラム教について学びます。