いろいろな生き方

 一階のスペースを使えるのもあと半年くらいと思って、着物と共に頂いたタンスの引き出しや古い茶釜など粗大ごみに出し、だいぶすっきり片付いてきました。今日は久しぶりに掃除機をかけ少し模様替えをしていたらなんとなく目が回ってきて、早々と切り上げ休んでいました。血圧を測るとかなり高く、4時からの整形のリハビリの予約をキャンセルして、じっと寝ていると、娘から彼女が大好きなスノウマンがバルセロナで踊っているYouTubeが送られてきました。クラシックの音楽をアレンジしたもので、なかなか名前が出てこないで問い合わせると[モーツァルトの交響曲第25番ト短調]でした。激しく踊る彼らを見ながら、娘は充実した日々を送っているんだなと感じ、好きなことを仕事にしているけれど独り身で、いいのだろうかと心配になることも今まではあったのです。でも、最近の世界の変貌を見ていると、みんなが行くからと同じように進んでいくことが苦痛なら、それは道を変えた方がいいという事なのだと気が付き、私立中学を受験しろと塾に行っていた意味がどうしても解らず、結局地元の中学に行った娘は、それからも我が道を行き続けています。

 本当に自分のしたいことをするために学び、努力し、独自の表現や物を作り上げることで、他の人の喜びや励みになれるなんてすばらしい事ではないか、結局自分の中にかけがえのない何かを作り上げ、持ち続けるために人間は一生を費やすのかもしれません。ウガンダの家族、クウェートの夫婦、サンディエゴから来る国際結婚をした女性の家族、みんな何かを求めて、何かを探してやってくるのです。

「仕事」とは「こと」にお仕えすると書き、「喜ばれる存在になることに、わが身をお仕えすること」だそうです。今までの私達は、「人の上に立ちなさい」「抜きんでなさい」「人よりもたくさんお金を得なさい」という概念を埋め込まれてきました。でも、人間の仕事の本質は、お金を稼ぐことではなく、自分がいかに喜ばれる存在になるか、たくさん頼まれごとが来る人間になるかという事で、「どうやったら喜んでもらえるか」「どうしたらお客様に嬉しい、楽しい、幸せと言ってもらえるか」だけを考えるのです。ひとの間で生きるという事は、自分が必要とされて居るという事で、人間の生きる目的は、欲しいものを得たり何かを成し遂げることではなく、人の間で喜ばれる存在になること、謙虚とは感謝すること、ただ喜ばれることを続けていく、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝し受け入れる。楽に生きていこうと思います。