南シシリーのアグリジェント

 このところ予約のメールが次々に入り、返事を打って居ると今度はイタリア人でフィンランドに住むガエタノから久しぶりにメールと14枚の写真が送られてきました。彼が次女さんとうちに来たのは6年前で、ずいぶん前のことなのですが、情熱的でまめな彼はよくメールを送ってくれます。南シシリーに生れ育った彼はフィンランドの女性と結婚して雪の深い寒い国でずっと暮らしていて、初対面の挨拶をするや否や、自分たちの住んでいるところがこんなにも雪に埋もれていると写メを見せてくれ、違う国に住むという事は本当に大変な事なんだろうと思ったのです。うちにはフィンランドから10人以上の女性ゲストが来ているけれど、誰も雪が深くて大変だとは言わないし、寡黙な一方でとても温かい心を持っていて、年間を通じて寒冷な気候だから自己主張を強くしたり、べらべらと話す陽気な性格や特徴は見られない、という事は、その反対の性格のイタリア人ガエタノはずいぶん違和感を感じながら生きてきたのでしょう。

 彼の送って来る写真は、初めの頃はフィンランドの深い雪景色の写真が多く、その後は待ちかねていた春がやってきて咲きだした様々な花で、最近は息子さんと行ったエジプト旅行の様子、ピラミッドやファラオに交じって必ず自分のアップ写真もあるのが彼らしく、イタリアへ帰って大きなピザを食べようとしているのも面白かったのです。今回の旅行は家族を連れて故郷の南シシリーに行ったもので、遺跡のアグリジェントをみんなで歩き、そこから見たイタリアの風景を沢山送ってくれました。

 シチリア島南西部のアグリジェントにある神殿の谷はかつて「アクラガス」とよばれたギリシアの植民都市で、ここは紀元前6世紀に建造され、神殿が多く並んでいて保存状態が良好です。かつては地中海地域の主要都市のひとつというほどの規模で、今でもヘラクレスを祀ったヘラクレス神殿をはじめ多くの神殿が残っていて、5世紀には現在のチュニジアにあったカルタゴに滅ぼされるが、遺構は畑や果樹園の中にそのまま残っていて、ヘレニズム時代後期からローマ時代の都市遺跡、初期キリスト教徒のネクロポリスまでが点在しています。なかでも紀元前5世紀に建造されたコルコンディア神殿は、保存状態が良く、6世紀にキリスト教の正道に転用されたもので、ドーリア式の列柱が並ぶ神殿は、ギリシアの芸術と文化が詰まった建造物なのです。シチリア島にあるアグリジェントの遺跡は、ギリシアの影響を受けていることから、人類の価値観の交換を示すものです。マグナ・グラエキアは、大ギリシャを指す言葉で、紀元前8世紀ごろから古代ギリシャ人が植民した南イタリア及びシチリア島一帯を指す言葉で、もともとギリシャ本国は土地がやせており、農業には適さない場所で、東は小アジアからシチリアにかけて、ギリシャ人の植民都市が広がった時代の名称です。この当時ギリシャの覇権国家であったアテネも、黒海地方から小麦を船で輸入していましたが、イタリアでもナポリ以南の都市はギリシャによって建設された都市なのです。ローマと2度もポエニ戦争を戦ったカルタゴは、海洋民族のフェキニア人(ギリシア人ではない)が植民した国家で、紀元前800年頃に、ギリシャ人がフェキニア文字を採用すると、そこからローマへと伝えられましたが、この時ローマでは、この文字がギリシャ起原と思っていたらしく、まさか宿敵のカルタゴの民族の文字とは思っていませんでした。ギリシャ文字の最初の2文字「アルファ」「ベータ」をとって、この文字を「アルファベット」と呼んだそうです。

 この街は、古代ローマの頃に、アグリジェントという名前がつけられ、アグリは農業をさし、ジェントは人々という意味で、農業を営む人々という意味でした。近年までは違う名前で呼ばれていましたが、ムッソリーニ政権の時に、古代ローマの復興を望み、現在の名前に替えたそうです。アグリジェントはシチリア観光では重要な街で、シチリアにはギリシャ神殿は数多く残っていますが、ここのコンコルディア神殿が最もよく原型をとどめていて、アテネのパルテノン神殿より規模はずっと小さいものの、神殿の原型を見るという事では、この神殿の右に出るものは現存していません。ギリシャ人の植民した時代にはまだ、キリスト教が存在しなかったので、ギリシャの神々に奉げられた多くの神殿があり、その数の多さがそこのギリシャ植民地の富裕さを表したとされています。

 神殿の地域は聖なる場所として定められ、神官が住む住居以外には建築が認められませんでした。この谷には7つの神殿が立っていて、一番保存状態がいいコンコルディア神殿は古代ローマ時代にキリスト教の教会として転用されたため、一番よく保存されています。この建築を見るに、古代ギリシャ人たちの高い建築技術に驚嘆せざるを得ないし、紀元前5世紀にこの建築技術を持っていた人たち、聖徳太子が生れる1000年も前にこのような技術があった地中海世界というものに驚かされます。

 ガエタノの生まれ故郷はこんなにも歴史のあるだった、そしてギリシャが深くかかわっているから、見事な神殿の跡が残っているのです。私は自分の生まれた小さな町やその周辺の地域を外国人に見せて案内しています。着物を着たガエタノと次女のアリーナが見たこの街の景色やいろいろな体験の感覚を、彼らはいまだに大事にしてくれている、そして彼らの原点は南シシリーの、アグリジェントの景色でありギリシアの神殿なのかもしれないと思うと、物凄いタイムゾーンに入っていく気がします。

 高砂という東京のはずれの小さな町でずっと暮らしているのに世界中の人々が訪れてくれて、着物を着て小さな寺町を散策し、最後に着物や羽織りや日本の伝統工芸品なとをプレゼントする、そしていろいろな思いを共有した後で、彼らが生きてきた世界の広さ、複雑さをあらためて知った時、私はまたその中に飛びこもうと努力します。普通と違う私はどこか透明で、何でも受け入れられる感覚があり、自分の芯が何処にあるかわからない、そもそも芯自体存在するのか、そんな思いを持ちながら1200人のゲストと向き合ってきて、言われるのは私が何かをひたすら探しているという事でした。自分は何者なのか、生とは何だろう、と考え迷い続けてきた長い日々、それが結局自分の役割、生きている意味をクリアにしてくれるものだと知った時、私は残された日々を楽しく生きていける気がするのです。ガエタノの送ってくれた沢山の写真の意味、繋がりがこんなによくわかる、目をつぶって彼らの歩く姿や、風景を見渡す視線を感じる、風も陽の光も、海も神殿も、みんなそこにあるのです。