ニッチビジネス

 ピンクの髪から落ち着いた栗色のヘアになった娘は風邪をひいたそうで、ちょっとつらそうに昨日の4時過ぎにやってきました。十月に銀座の能楽堂で行われる日舞の発表会で少し踊る彼女は、髪が目立って舞が上手でないのはマズイからねといいながら、だいぶ落ち着いてできるようになったと言います。着付けの仕事、販売の仕事、前撮りの仕事に加えて、新しい前衛的な着物の着付けにも関わりだしたようで、この暑さで浴衣も売れなくなり厳しい状態の中で、着物を着たいという層は限られるけれどでも需要があるし、いつも同じ組み合わせしかできない日本人に比べ、外国人はお国柄の特性を生かした斬新な組み合わせの着物スタイルを選ぶことがあり、私はいつも目を丸くして見ています。

 私が着付けを習い始めたのは20年前でしたが、呉服屋さん関係の着付け教室は着物を買わされるから怖くて行けず、葛飾区のお知らせに出ていた一回1000円の講座に通い始め、資格も取ったものの、自分で着る着物のコーディネートはどうしても決まったものになり、平凡な着物姿になってしまいます。それでも歌舞伎座にいったりお茶会やお茶の稽古に通っていた頃はかなり着て、着物生活を楽しんでいましたがコロナウィルスが蔓延したころから着物どころではなくなり、エアビーの仕事で外国人には着物を着せてはいましたが、年を重ねて体が不調になり変形性膝関節症になって正座が出来なくなって、いろいろなことを諦めるようになりました。

 今はYouTubeなどで着付けを学べるし、若い方の斬新な着物姿もずいぶん見かけるようになったのだけれど、娘の最近の着物姿はカッコイイなと思ってもまねできるものではないと感じていたら、斬新な着物を購入したけれどどうやって着こなしていいかわからないという悩みを持つ方もいるようで、着付け教室は本当にたくさんあるけれど、高級で斬新な柄の人気のあるアイテムを、品よくカッコよくオリジナルに着こなす見本というものがまだない、それが出来るのが娘だと私は思うし、応援して下さる方もいるのです。デンマークがニッチ産業の発展で国力を増してきたという記事を読んだことがあり、調べて見るとニッチビジネスとは大企業が事業展開していない隙間を狙ったビジネスのことをいいターゲットとなる顧客の数は極めて限定的であり、大きな売り上げは見込めないけれど、ただ確実に需要があるから、その隙間を狙ってビジネスを行う場合があるというのです。

 着物を着ることが必要な人たちは結構いて、割と年配で金銭的に余裕があっても普通の着物を普通に着るのに飽きてしまって、他の人と何か違う着物姿になりたいと秘かに思っているのです。デザイナーさんの作ったカッコイイ浴衣を自分に似合うように着せて欲しいという切実な要望があり、そこから娘にオファーが来る…これぞニッチビジネスだと私は思います。オリジナルなものをオリジナルに着ている娘は、相手の方をいかにカッコよく見せるか、楽しんでいろいろ工夫している、そして何より大切なのがトータルとしての品格です。40代の娘は独り身で家庭を持っていないけれど、夫や子供がいたらそちらのことを考え、自分のことはどうしても二の次になる、そうやって私は生きてきたけれど、先の見えない世界を生きていくには、自分を完成させるための努力を必死でしないといけないし、未熟な人間が子供を育てていく怖さを身をもって感じている今、娘の生き方を応援していきたいのです。

 私のエアビーの仕事もニッチビジネスです。普通の着物体験とは違うのは、精神的心理的な部分が強くあって、異国人のゲストの中に入り込み、その着物姿の中に柴又のお寺や仏教彫刻やすべてを落とし込む、そしてそれがどんな変化を見せるのか、何を思ってくれているか、色々な反省を含めて、トータルな4時間の記録は時がたつと「古い夢」になる。個人個人の一つ一つの夢を私は並べて記憶して熟成させています。娘も人生の折り返し地点を過ぎて、何か作り出せる位置に来ている、今までやってきたことのスタート地点に立っている気がするという言葉は何かを象徴している気がします。着物着付けの隙間ビジネス、エアビーの隙間体験、突き詰めていくべき時が来ました。