論語

 子曰く、吾十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず。

 重陽の節句の日にやって来た娘は風邪を引いてしまい調子が悪いようでしたが、日舞発表会用の着物と帯、小物を選び、ついでに薄手の喪服と私がコーラスグループに入っていた時戴いたメイドインフランスの黒いロングドレスを持って行きました。着物を使ったダンス衣装の製作や、斬新な着物デザイナーの着物を購入した方からの着付けの依頼、新しい素材を使った着物小物の販売など、色々な流れの中にいる娘は、随分落ち着いてきて体のメンテナンスもしっかりしながら、自分のやれることをやる下地や準備が整ってきたことを感じているようです。論語の「四十にして迷わず」という言葉を思い出し、私の40代は子供たちや家の仕事のことで夢中に過ごしていたけれど、この混迷の時代に娘はゆっくりと自分の歩みを続け、何かを掴もうとしている強さに驚くのです。

 ウガンダで暮らすデンマークパパの生き方に強いインパクトを覚えて以来、私はデンマークについての記事を探していて、デンマークがニッチ産業の発展で国力を増してきたとあったので調べて見ると、ニッチビジネスとは大企業が事業展開していない隙間を狙ったビジネスのことをいい、ターゲットとなる顧客の数は極めて限定的であり大きな売り上げは見込めないけれど、ただ確実に需要があるからその隙間を狙ってビジネスを行う場合があるというのです。とても少数の人が対象になるけれど、強く望まれ期待されている分野で、レベルは違うけれど文学にしても美術にしても、作家は己の感性に従って妥協なき物を苦労して作り上げ、それを後から見た人たちが自分の探し求めているものだと知って、それによって癒され励まされるのであれば、これもニッチ産業といえるのかもしれません。

 生きていく上には収入を得なければならない、働かなければならないけれど、体に害のあるものや精神を蝕むような製品や食品を作り続ける大企業に入るために、勉強はするものではなかった、ではどんなニッチビジネスをして行けばいいか、この世の中に溢れかえっていないものは何だろうと昨日の夜からずっと考えていました。

 そのことを考えているだけで自分の心が燃え立ち、憧れ、永遠を見ようと思えるもの、それは真実であり、善き事であり、本当の美しさ、真善美を求め続けることかしらと気が付いた時、心が晴れ晴れして未来が見えてくる気がしたのです。日本人のみの着物着付けをしていた頃は、どうしても表面だけの接触しかできず、着物を着て出かけ、帰ってきた時のお客様の顔も喜びにあふれたものではないことが多かったのです。窓にポスターを張り、着物を着ようというキャッチフレーズのチラシを配っても、反応はほとんどなかった。でもエアビーホストの紹介で体験サイトに加入し、手伝ってもらいながら世界中の人達に着物を着せ文化を味わってもらうと、思いがけない反応があり、失敗も挫折もコロナウィルスの蔓延による長期間の停止もはさみながら、沢山の外国人が本格的な日本の着物を着て、近くの寺に行き、庭園や仏教彫刻を見ながら様々な話をすることが出来るようになりました。

 短い時間だけれど相手の中に入り込み、どんなことを考えどんな宗教を信じ、どんな文化に満たされてきたのか、それを知るためにあらゆる努力をしてきました。これが私のやり方であり、望むことであり、着物を着た時のゲストの輝くような美しさは素晴らしい文化の贈り物だったのです。娘は自分で新しい感覚の着物を着てアレンジし、それを心から楽しんでいます。日舞を習ってその所作の意味を知ることも、彼女の引き出しを増やし、より多様な表現ができるようになる手助けになるのでしょう。ニッチ産業とは正しいものを正しく考え、文化を理解する教養を深く身につけること、そして何より他者に対する深い愛情を持っていないとできないことだと思っています。

 邪悪なものから抜け出し、ひたすら高みを目指して進んでいく、それが出来る働き方を、色々な方の助けと共に目指していく道を娘は歩んで居ます。40歳になったから「不惑」の歳に自動的になるのではなく、常に研鑽を続けながらそして苦労しながらも人間形成をして来た孔子

の言葉は、限りなく深く温かく優しいのです。