柴又の参道で売られているダルマの説明で、願い事をしながら片目を黒く塗り、それが叶った時もう片方の目を黒く塗るという意味を私は”dreams come true"という言葉を使ってするのですが、地質学者のヴィヴィアンから来たレビューにこの言葉を見つけて、私は何だか胸が熱くなるのを感じました。娘さんの10歳のテッサは、入ってくるなり棚の上のジブリの人形に目を輝かせ、リュックから日本語のテキストを取り出して見せてくれ、ここに来るまでにたくさんの努力をして夢を見ていて、念願かなって今ここに居るのです。
オレンジの華やかな小紋を着せ、扇子や刀を持ってポージングしたり、二階の和室の床の間の前で正坐して写真を撮ったりしながら、パパやお兄ちゃんとうちにあるものすべてを楽しんでいる様子は、今までのゲストにはないもので、暑いし4時間のコースは疲れただろうと思うのですが、お寺も駄菓子屋さんのキャラクターグッズも全てが素晴らしかったと書かれたママのレビューは、彼らがまっすぐに私のところの何かに強く魅かれてやってきていることを示していて、ここがテッサの夢だった、夢が叶ったということの重みを感じています。
髪を切りに美容師の寛子さんのところへ行き、懐の深い彼女にこれまでの心の変遷を話していて、やっと自分を肯定できるようになり、やっていることの意味が解るようになったと言ったら、間髪入れず拍手をしてくれて「ようこそ、こちらの世界へ」というのに驚きました。自分が何を求めているのかわからなかった若き日々、結婚してからは義父母の干渉のもとすべてを否定され、息をするのも辛い長い時を経て、今年私たちを嫌っていた義母が亡くなり、先妻のさださんや義父、ご先祖様と一緒のお墓に入った時、義母は本体でなく影となって静かに収まりました。私たちを縛っていた呪縛が消え、自由になり、私たちは自分を肯定し、自分として生きることに誇りを持てるようになりました。
最近聞く歌やイベントの後の指導者のコメントが、「私を愛せるのは私だけ」「生まれ変わるなら、また私だね」とあり、自分が自分を愛せるまで自分を高めなければならないということを痛感しています。寛子さんもいろいろなことがあって自分を否定してきたけれど、あるきっかけでそこからこちらの世界へやってくることが出来た。自分の影を見つけて、自分が本体となって壁を越えて、壁を抜けることが出来たのでした。70年かかってやっとたどり着いた私の道を、若い外国人たちが探してやってきてくれる。自分の夢とは人の夢を叶えることだとわかって来ると、その責任の重さを痛感し、もっともっと引き出しを増やし、表現手段を高めていまなければならないと思うのです。
壁を超える。影を認めて、より良い本体になる。歩き続けます。