PANDORA

 昨日はお彼岸供養が柴又の萬福寺であり、いつも参加する私はゲストが一人来るので、夫が代わりに行くことになっていました。ゲストに浴衣を着せて柴又に行って、夫と一緒になってもいいなとのんびり構えていたら、前日の夜急にアメリカの男性から3人分の予約が入り、年齢や性別を問い合わせても返事をくれず、なんだか本当に来るのか怪しいものだと私は半信半疑で支度をしていました。

 定刻にメキシコシティから32歳の静かな女性があらわれ、スペイン語英語イタリア語に日本語が少し話せ、楽しく会話をしながらこれまでのゲストの着物の写真を見せると、イタリアの女の子が着ていた赤い振袖が着たいと言います。少し涼しくなってきたので、二階のタンスから厚手の振袖を何枚か出してきてアラセリに見せ、ミスかミセスか聞くと、6年前に結婚し2年前に離婚したと言います。それからも何回も離婚のことを言い、細かいニュアンスはわからないけれどかなり闇を抱えている彼女に振袖を着せ、写真を撮っていると携帯がなり、ゲストのアダムが駅で迷っていると連絡してきて、早口でわからずアラセリに代わってもらうと、何と降りる駅を間違えています。ここは高砂駅だと教えてもまた間違え、一時間してやっと現れたのはアダムと24歳の美女モデル、イタリア人とルーマニア人のロングヘアの女の子たちで、赤坂のレストランでアダムにナンパされ、ここまで来たようなのですか、どういういきさつで予約してきたのか訳が分からないのです。なぜか着物を着たがらないアダムにとりあえず黒の紋付きを着せ、彼女達は赤と水色の振袖を選び、支度の終わったアラセリに帯や帯揚げの選択のアドバイスを頼み、私は急いで二人に振袖を着せたのだけれど、細いし補正もできないし、本当にとりあえず、振袖を着せました。おはしょりは綺麗でないし、帯枕も浮いてしまうし、あらあらと思いながらアダムに写真を撮ってというと、赤い振袖を着たイタリア人のソフィアは水色の振袖を着たルーマニア人のモニカに撮って貰うと言い、髪もアップにせず髪飾りも付けず、櫛や刀や色々な小道具を使ってポージングをし、様々な写真を沢山撮り続け、アダムスは腕組みして所在投げに立っているのです。

 可哀そうなのはアラセリで、一人だったらティーセレモニーをして浴衣に着替えて柴又散策をするところなのに、自撮り棒を使って一人で写真を撮っているので、夫が帰ってくるのを待って二階へ連れて行き、鎧や床の間や障子、襖など日本の部屋を楽しんでもらいました。モデルたちは今度は外に出て写真を撮っています。通行人が見るし、着付けが怪しいし、私はとても正視できないのだけれど、娘が成人式の前撮りの現場で外国人のモデルが着物を着て屋外でポーズを撮っているのを送ってくれたのを彼女達に見せると、洒落た町の背景が気に入ってどこにあるかと聞かれ、残念ながら東京の中央だと答え、モデルにとっては背景が大事なんだと気が付きました。

 いい加減な36歳のアダムに比べ24歳なのに彼女たちはしっかりしていて、何年間この仕事をしているのか、この仕事が好きか、誇りを持っているかと着付けをしている私に尋ね、帯も渋い金織の名古屋帯を選ぶのでさすがイタリア人と感心しました。ルーマニアの女の子は一人っ子で孤独だといい、日本でモデルの仕事をしているのかと聞くと、I hope soと答え、モデルの世界も競争が激しいし、綺麗な子は羨ましいけれどそれだけでは仕事は来ない、ひょっとして着物を着てデモストレーションの写真を撮っているのかとふと思いました。着物は高いよと暇そうなアダムスに言って、でもうちは使わなくなった着物たちを沢山無料で頂くといったら、Crazy!と驚かれました。しばらく外にいて、さすがに暑いだろうと思っていたら、戻って来た彼らはお腹が空いたから帰ると言い出し、抹茶を飲むかと聞いたら顔をしかめて、ティーセレモニーなどとんでもないことのようで、すっぱり着物を脱いで軽やかに帰って行くのを、アラセリに浴衣を着せながら私はあっけに取られて見ていました。さあ、ちゃんと普通バージョンに戻ろうと思ってふとアイロン台の上を見ると、指輪が3つ置かれている、忘れものです。どうしようと思ってアラセリに聞くと、これは多分PANDORAというデンマーク製のリングで、割とリーズナブルで人気があるそうです。ああ、またデンマークだ。デンマークパパと知り合ってから、なぜかデンマークのものが周りに集まってきます。パンドラ、そうか、あの三人はパンドラの箱から出てきたのかもしれない、何のためにアダムスは自腹を切って3人分の予約をしてここまでやってきたのか謎なのだけれど、よくよく考えるとエアビーの予約をしようと思わないタイプのモデルの女の子が、高価な振袖を着て写真を撮るために来るというシチュエーションをアダムは与えようとしたのかもしれない、そうだったら初めにそう言ってくれればいいのにと思いながら、4時を過ぎたけれど浴衣姿のアラセリと柴又の参道をのんびり歩いていると、アダムから電話がかかってきました。もう初めからアラセリに代わって話してもらうと、向こうもイタリア人のソフィアが出て、面白いのがスペイン語で話しながら、結論は指輪を郵送で彼女たちが住んでいるところへ送ることになり、郵送料はこちらで持つというとどうして?と問われ、「あなたは私のゲストだから」といってもらいました。

 この感覚は彼女達にはわからないだろうなと思いつつ、私のところに着物たちが集まってくる訳はこれなのです。いろいろなものを与えるといろいろなものが与えられる、いろいろなものに執着を持たない、いつも自分は一人だと腹をくくって生きていると、そういう感覚を持っている世界中の人が来てくれるのです。電話が終わってやっと静かなお寺の雰囲気を二人で楽しんでいると、綺麗な振袖姿の若いお嬢さんが家族と一緒にお詣りしているのが目に入り、一瞬中国人かと思ったのだけれど、白地に紫のあやめの模様が描かれた高価そうな着物を見て、成人式の前撮りだと気が付きました。完璧な着付け、帯結び、ヘアスタイルで、一分の隙もありません。

 成人式の着付けにはこの完璧さが求められるのに、膝痛腰痛で、いい加減な着付けでお茶を濁している私は反省しながら、こちらを向いたお嬢さんを見た時、ごめんなさい、「綺麗じゃない」「素敵じゃない」と感じてしまいました。着物に自分が追い付いていない、振袖を着るだけの中味が出来ていない、それはこのお嬢さんだけでなく、娘たちもそうだったし、これまで成人式の着付けをして来た方々に共通していることです。うちに来る外国人に40代でも振袖を着せると、彼女達の歩んできた道のりや経験が醸し出す雰囲気が、途轍もない美しさとなって、私たちはびっくりするのです。

 今日のモデルさんたちも、厳しい道を歩いていて、安穏とした日々を送っているわけではない、自己満足のために写真を撮っているのではないどうやったら魅力的に見えるか、どんなポーズがいいのか、どんな表情がいいのか、彼女達は必死だったのでしょう。表現することの難しさを教えてくれたこの短いひとときは、私にとって大事なことを気づかせてくれました。パンドラの箱が空けられて、あらゆる魑魅魍魎が飛び回っている今だけれど、でもその中に希望も救いも混じっている、それを見つけて行けばいいのだと思います。

 帰りの電車でアラセリに好きな日本の作家を聞いたら、村上春樹と太宰治といわれ、絶句しました。離婚したから、かえってもアパートで独り暮らし、でも仕事や趣味の歌のレッスンで忙しいと言います。帰り際思いっきり抱きしめて別れを告げた私たちは、似た者同士でした。今日の体験の中で、アラセリは地味な存在だったけれど、間違いなく一番重要なゲストでした。