ラストエビデント

 欠けた月の下で 彷徨う霧の群れ

ただ ただ この迷路のような 夜が明けてく
 
静かに騒ぐ この景色を まぶたに映す 記憶から
ただ ただ その呼吸の意味を 知りたいだけ ねえ
 
徒然と流れてく 毎日を消化するように
何度も逃げ出したくはなってた
混沌としてる様が嫌いで こじ開けたこの頭の中
 
孤高の空 ただ 静かな青に 息を奪われてしまった
何処にも往けない 星を辿る
激しく打ち付ける雨 還る場所なら
今も昔も変わることない
 
墜ちてく脱走者のよう 三つ数え息を隠した 一人
感じ取れるものは何 想像出来ないような光
音に混ざる 最後の日
 
朝焼けの空 暗い灯火 見えるものはなかった
もういっそ 記憶の海に ああ 溺れたい
 
閉ざされたまま 象る様に 枯れた頬を指でなぞった
壊れそうな程に 泣いていた
紅蓮の炎に塗れ 灰になるなら
孤独を喰らう事もできない
 
窓に映る 朽ち果てたこの身で 泳いだ 戻れぬ日を 騒ぐ心
いつかの願い星には君を映した 僅かな温もり
 
降りしきる雨 傷は癒えんだ 強く握るこの手には
ほとばしる希望で震えていた
綺麗な場所を目指した 僕らこのまま
ずっと同じ夢を見てた
 
孤高の空 ただ 静かな青に息を奪われてしまった
何処にも往けない 星を辿る
激しく 打ち付ける雨 還る場所なら
今も昔も変わる事ない
 
ありのままが難しくて いつも何処か怯えたまま
揺蕩う月のように 流れる日々を 流される日々を ああ
儚さ故この残響 現実とはこの想像
 
 アメリカの女性から予約が入り、一人旅でこの体験をとても楽しみにしているとあったのだけれど、174センチ155㌔という体型はとても着物を着せることはできないから、問い合わせだけだと私はお断りしています。でも予約はしてしまっているから、パニエを履いて振袖ドレスにするか、インドのゲストが送ってくれたサリーを着せようと、私はYouTubeを見ながら一生懸命着方を覚えていました。今浅草橋にいて15分遅れるけれど、友達を連れて行ってもいいかとメールが入り、OKと返事をして待つこと10分、玄関に現れたのはドレッドヘアの大柄なクリスタルと長いピアスを片耳に付けた細身の日本人男性でした。二人は友達で38歳のおない年、女の子はアラバマで看護職についていて、男の子に職業を聞くと仮想通貨のデイトレーダーで、聞いていないのに離婚していると言います。この前来たメキシコのアラセルと一緒で、挨拶しながら離婚のことを言うというのは何でだろうと思いながら、いろいろ写真を見せて話をしながら、一番大きい振袖を着せても全く前が合いません。
 パニエを履かせようとしてもお腹でつっかえてしまうのですがようやく引っ張り上げ、娘の黒振袖を前から着せ付けてベルトで止めようにも手が届かず、やっとこさギラヘコを巻いてショールを掛けて、何とか形を作りました。髪の毛をまとめている間に彼におまけで紬を着せ、話を聞くと江東区に住み末っ子長男姉二人だそうで、何となく雰囲気でわかります。慶応大を出て、お父様は大学教授、でも屈折しているっぽい彼は一番いい紬の光沢がわかり、ライカが付いているスマホで彼女の写真を撮りながら、振袖の模様がくっきり浮いて出ていると着物の質の良さを理解し、素敵な写真を撮り続けて、彼女はニコニコしています。そのまま二階で鎧や障子と共にポーズをとりながら、日本人で良い暮らしをしている彼がこのうちにあるものが珍しいと反応してくれるので、日本人にとってもこのうちはレアなのだとわかりました。
 小雨が降ってきたのでティーセレモニーをしてから、私服に着替え先にお土産を渡し、このまま柴又へ行ってお寺を見てから駅で別れようということになりました。二人は水曜日の静かな柴又にとても強いインパクトを受けたようで、特に庭園の佇まいに見入る彼は芸術肌で、生き方に苦労しているのはよくわかるのだけれど、変に自信を持ってこの世を生きている若者たちよりも私は好感を持つのです。お腹が空いていると言ったから、駅前で今川焼を買って渡して別れたあと、彼らはもう少しいろいろ見て回るとのこと、気に入って貰えてよかったし、今回のケースも初めてのパターンでした。ナイジェリアとアメリカのハーフの彼女は穏やかでいつも微笑みを絶やさず、おみくじでExerentが出るととても喜び、彼に従って日本を楽しんでいて、もし彼女が一人で来ていたら随分状況は違っていただろうし、ただの友達だそうだけれど私はいつも彼の表情を見ながら彼女を案内していました。感性とか価値観がこの二人は一緒なのだろうし、彼は日本人同士同士では自分でいることが出来ないのかもしれません。50歳のフィリピン女性と旅を楽しむ35歳のオーストラリア人のエンジニアや、ナンパしたイタリア人とルーマニア人のモデルに着物を着せようとわざわざ自腹を切って連れて来たアメリカ人の36歳のアダム、この日本人の彼、みんな同じ年です。IT関係の会社に勤めていても、自分で会社を経営していても、フリーで仕事をしていても、みんな心もとない表情で暮らしている、何をしたいのか、何を求めているのか、どうしたら自分らしくいられるのが、何が正しいのか、それがわからず彷徨っている感があります。
 一昔前の規範、良い学校を出て、良い会社に勤め、良い家庭を持って子供を育て、良い老後を迎え、良い人生を送ったと満足して幕を閉じる、その筋書きがまかり通らない領域に人間は達しています。
 宮川大聖さんのラストアンビエントという歌で羽生結弦さんがスケートをしている動画が昨夜投稿され、ミュージックビデオのような完成度の作品を何回も見返しています。難解な歌詞をスケートによって表現してしまう才能に圧倒されながら、それが心の奥底の疼きを抽出してくれる心地よさを感じているのです。エビデントとは”明らかな、明白な、はっきり表れている”という意味だそうで、若い宮川さんの頭の中の複雑な思いを即時に理解できる羽生さんが作り出す己の世界は、ラストの輝く何かなのでしょうか。呼応してくれるものが世界のどこかにある。昨日来たウガンダからのデンマークパパのメールにも、それらについて示されたサイトが添付されていました。わかる人はわかっている、そんなゲスト達がやってきてくれるのは、本当にありがたいことです。