また暑さがぶり返し、30度を超えると体がついていきません。十月は前半が予約が入っていないのは何でだろうと思いながらスマホを見ると、久しぶりにドイツのハンブルグに住む五十代の女性が月末に一人で来るとあり、メールを返すと速攻でドイツ語で返事がありました。コピペしてグーグル翻訳で見ると、英語が得意でないとあり、息子さんは話せるから一緒に連れて行ってもいいかとの質問があるのです。プロフィール写真が家族三人で写っているものなので、前に来た中年のドイツ夫婦が着物を着て仲良く抹茶を飲んでいる写メを送り、男性でも着物体験は楽しいとわかってもらいたく、できればみんなで来て欲しいと思っていると、翌日家族全員で予約してくれました。
それにしても、仏教の説明やお寺の彫刻版の内容など、20歳の息子さんに英語で言ってそれをドイツ語に訳してもらうのはなかなか難しい気がして、一か月猶予があるからドイツ語の会話が少しできるようにし、仏教の説明はレジュメを作ってそれをドイツ語に訳したペーパーを用意しようと思います。暇なのはそういうことをきちんとしなさいという啓示なのだと思い、YouTubeで簡単そうなドイツ語講座を見つけて少しずつさらっていると、時々見覚えのある単語が出てきて、そう言えばベートーヴェンの第九を歌う会に入っていた時、ドイツ語の発音と歌詞の解釈を習ったことがあるのでした。
夫にドイツ語を頑張ると言ったら、「無理無理」と即座に返されたけれど、今は無理をやることしかニッチ産業にならないというか、高体重高身長でも無理を承知で何とか知恵を絞って頑張ることが、ゲストが来てくれる道につながる気がします。銀座のポーラビルでマチスの展覧会があるという記事を見つけ、この前パブアニューギニアの奥さんと子供たちと来たオーストラリアのパパが、柴又のお寺の彫刻版の前で好きな画家は?と聞いたら即座に「マチス」と答え、ママはわからないと言い、この会話がとても印象的だったので、ぜひ行って見ようと思います。
感情や心情、精神を表現することは難しい、意識すればするほどかけ離れたものになってしまいがちだけれど、心底本当の感情を目にした時、それがとても意外なものであっても私たちはそのショックで愕然とするのです。この時代に私たちが遺すべきもの、表現とは、心情や感情、精神など知覚できないことを知覚できる形にして表に出すことと演出家のMIKIKOさんが言っています。ある楽曲を滑る羽生選手の動画を見てその編集が素晴らしくて感嘆していたのだけれど、その曲がずいぶん前にある映画のエンディングに使われていて、それが激しく切ない男子同士の愛で、それを見た時音楽の意味が解り、激しく心を揺さぶられました。うちのゲストはLGBTQが結構来ていて、その内面まではどうしても図り知ることはできず、距離を置いて相手をしていました。でも、今回この映像と激しい歌の内容が絡み合い、色々な感情や心情、精神を余すことなく表現しているのを目の当たりにして、同感とか共感とかいうものではなく、魂で相手を納得する事が出来る人間がいるということに圧倒されたのです。
真理を求め続けてストイックに己に向き合うと、余分なものが削ぎ落されて自分の心もクリアになる、内面磨きのために自分を追い込む、表現というものをより強く考え始めるようになってから、ひたすら自分に向き合う時間が増える、自分は何者なのか、生とは何だろうということを突き詰めて、自分の芯が出来始めないと思い描く表現ができないと痛感する。逃げ場もないほどに追い込まれないと、見えて来ない境地もあるのではないか。仏教の教えでも一番の悟りは執着を捨てること、自分の心を乱す事象である八つの風(利益、衰退、陰口、名誉、賞賛、悪口、苦、楽)が訪れると、人間どうしても心が揺れ動いてしまうけれど、大切なのはそのことにずっと捉われないようにすること、すべてを放下して新しい境地と出会うことが人間の目指すべき生き方で、極限まで追い込まれて体力もメンタルも削られているからこそ、パフォーマンスに優しさがあふれていたり、逆にちょっと破壊的な空気をも生み出せると感じることがある。
誰かのために存在していることが自分の生きる道なのだとしたら、私にとってそのツールが着物であり、日本の文化なのかと思うのです。自分がぐんぐん変わるとともに、生きている実感を感じる。その時々で自分なりの役割を、そこに存在する意味をしっかり感じられる生き方が出来ていたらいいのでしょう。辛い時は落ちるところまで落ち、辛い、しんどいと落ちきってからは頑張る、でも辛い時がないとその先に希望も見えにくいのではないかと思う。辛いことはつらいとちゃんと受け止めて、それを認めて人生の栄養にするしかないのです。
不確定な話題が飛び交うSNS時代であり、不安定な世界情勢の今だからこそ、自分は何者か、真実をしっかり見極められているかということに意識を向けて、自分を見つめるきっかけや考えるヒントを掴む。一人が変われば廻りも変わり、国も変わり、世界も変わっていくと信じたいと、羽生選手はある対談で語っています。
この時代に私たちが遺すべきもの、表現とは、心情や感情、精神など知覚できないことを知覚できる形にして表に出すこと。そのための努力をしている人たちに鼓舞されつつ、私も頑張って進んで行きます。