金魚とマチス

 雨が降る土曜日に出掛けた久しぶりの銀座にはビニールのレインコートを被った外国人がたくさんいて、相変わらず日本は人気なのだと感心します。三越のアートアクアリアムという金魚アートと、ポーラ銀座館でのマチス展を見に行くのは、ゲストにおすすめのスポットを聞かれることがあり、新しい施設はどんなものか私が実際に体験するためで、豊洲のチームラボも行って見たし、京都もいろいろな所へ調べに行きました。

 三越の新館の八階へ行くのに一階のエレベーターの前で順番を待っていると、後から高身長の高齢者外国人グループがやってきて、雨が嫌なのか不機嫌に話している言葉がドイツ語で、これを勉強しなければならない私は一生懸命聞き耳を立てていたけれど、全くわかりません。でもエレベーターが開くと私より先に乗るし、外国では順番は守るものではないと実感しながら何となく心が硬くなり、柴又でのように外国人に会うと「どこから来ましたか?」などどのんびり話しかける雰囲気ではないのです。

 金魚アートは綺麗でした。蜷川実花さんの映画”おいらん”のシーンのようで、並んでいる金魚たちは顔見世の花魁たち、どこを見てもきれいで撮影スポットだらけ、写メを撮りっぱなしで、アート、デザイン、エンターテイメントとアクアリウムを融合させた幻想世界が広がっています。沢山のお客さんたちは満足してあちこちカメラを向けている、でもチームラボへ行った時も思ったのだけれど、互いに会話することが全くないのです。私は話好きとイギリスの若いゲストはレビューに書いてくれたけれど、その私が全く話したいと思わない空間というか、何者かに制御されている感覚、AIかもしれない、素晴らしい美しいアートの中で、生きている沢山の金魚たちの気配が、いのちが、消されていて、みんな生きている金魚たちなのに、彼らのアイデンティティは全く感じられないのでした。

 三越から少し歩いて銀座一丁目のポーラ館に着くと、エレベーターの前には何人かいて、そこに貼られたマチスのポスターの写真を撮っています。三階の会場は広くなく、ポーラ美術館所蔵の名品”リュート”をはじめとした絵画5点と、晩年の傑作”ジャズ”全20図が展示され、日本人のお客さんがたくさんいて絵をじっくり見ています。オーストラリアから来た地質学者のギルバートがマチスが好きだと言わなければ、私の頭の中にマチスは存在しなかった。目の綺麗な小柄な彼は来た時から帽子を被りっぱなしで、着物を羽織る時取ってもらったらスキンヘッドだったのだけれど、純粋で繊細で家族に支えられている感のある彼が、マチスのどこに安らぎを感じるのだろうかと、私はひたすら考えながら絵を見ていました。

 鮮やかな色彩を大胆に用いて表現される作品は、見るものに強い印象を与えその独自の色彩感覚から”色彩の魔術師”と呼ばれ、感情を直接的に表現するマチスの制作スタイルは作品にダイナミズムを生み出し、色彩の配置やバランスはまるで音楽のように視覚的なリズムを感じさせます。"リュート”の絵の背景やテーブルの明るいオレンジ色を見て気が付いたのが、10歳の娘さんに着せた小紋がこういう色の華やかなものだったことです。そういえば彼が選んだ浴衣はひで也工房の紫の麻の葉のもので、よくこれを選んだなとその時は思ったのだけれど、感情を直接的に表現するマチスが好きだったとわかると、納得できるのです。

 晩年には戦争や自身の病といった困難に見舞われたマチスは、油彩画やドローイングに加えて切り紙絵の手法を取り入れて意欲的に作品を制作、手法を変えればまた表現の場が変わる、自分の芯さえ確立していれば、いくらでもやり方がある強さを、彼の絵の明るさから感じながら、こういう色々なことを教えてくれる世界中から来るゲストの存在が有難いのです。

 世界は広くて複雑です。70年生きていても知らないことだらけ、わからない感情だらけ、でもまだ明日がある。明日また、前に進みます。