ファイナル アンサー

 カチカチカチカチ 秒針が音を刻み、アナウンサーの「ファイナルアンサーは?」という声が聞こえると、解答者は意を決して最後の答えを告げます。合っているかいないか、緊張の一瞬です。

 カチカチカチカチ 秒針が頭の中で時を刻んでいます。右の防空壕に飛び込むか、左の防空壕に飛び込むか、戦争中に女学生だった実母が咄嗟に選んで入った防空壕は爆破されず、もう片方は爆撃されて、そちらに飛び込んだ友達は死んでしまったという話を母はよくしてくれました。昔話だねと遠い目をして話していた母や、義父や義母を看取って今度は自分が高齢者となった私は、仮想現実の中でどちらの防空壕に飛び込むのかと無意識の選択を迫られ、ファイナルアンサーの答えを出す時が今だと感じています。答えは誰も教えてくれない、教えるどころか、上に立つ人間たちが悪にまみれ理性も知性もないまま互いに目を突き合っている、村上春樹の短編小説「とんがり焼きの盛衰」の中のとんがり鴉の世界そのままの今の現状は、あまりにあからさまで滑稽ですらあります。

 退化して見えなくなった目を互いにつつき合って相手を滅ぼそうとしているとんがり鴉たちが仕掛けた罠の前で、私たちは「ファイナルアンサー」を言えと強要されている、もうその世界はいることに値しないバーチャルなまやかしであり、真実の答えを自分で求めて、自分でファイナルアンサーを作りださなければならない、切羽詰まった時なのです。

 

 

 雨模様だった水曜日の予約を一日ずらしてやって来たアトランタのコニーは日本人の体型のようで、36歳独身だというのでオレンジとみどりの配色が鮮やかな振袖に、緑の地のこれまた鮮やかな帯を締め、長いドレッドヘアをお団子にして簪を指すと、光り輝く着物姿になりました。四人姉妹の次女で五十代のお父さんはメキシコ人の軍人さん、同じ年のお母さんはキューバ人で、男の子だったらよかったのにと言われていたらしいコニーは以前は太っていたそうで、勉強が好きで意志が強く、生き方も食生活もストイックな感じがして、参道のお店にも食べ物にも興味を示さず、今まで来た女の子たちとはどこか違うのです。

 褐色の肌の彼女が選んだ振袖や帯の取り合わせは、彼女だから似合うもので、柴又では随分多くの人に声を掛けられ褒められ、写真を撮られていました。デニムのぴったりしたワンピースにドレッドヘアを長く垂らし、緑の野球帽を被って現れた彼女の、まるでシンデレラのような華麗な変身に、外国人の着物姿を見慣れている私でさえ息をのんでしまい、ひたすら写真を撮りビデオで赤い絨毯の上を踊りながら歩く姿を撮影すると、とても喜ぶのです。彼女は自分に何かを課し、何かを抱え、何かに耐えている、帰りの電車を待つ15分間、ベンチに座りながら彼女はいろいろなことを早口でしゃべったけれど、残念ながら私には理解できなかった。でもあまりにみんなが褒めてくれるのを聞いていて、「私はこの褐色の肌をしているのに、日本人は違和感を感じないのか?」という疑問はわかったのです。

 この前急に来たイタリアとルーマニアのモデルさんが振袖を着て随分自分達で写真を撮っていたけれど、白い肌にブロンドヘアのスリムな美女の振袖姿は心に残るものではなかった。

 

 

 昨日娘が銀座の能楽堂で日本舞踊を踊るという貴重な経験をしました。市の日本舞踊講座に通い始めて何年になるのか知りませんが、素晴らしい先生にご指導いただき、これまでは公会堂の舞台でのおさらい会だったのが、今回はチャリティ公演の前半に能舞台で踊るという途轍もないチャンスを戴いたのです。プロの方に綺麗に髪を結ってもらい素敵な着物を着た門下生の踊りが始まると、私はドキドキして8番目に出てくる娘の出番を待ちました。「あやめ浴衣」という演目を踊る娘は、私の薄黄緑の付け下げに総刺繍のとっておきの帯を締め、金屏風の後ろから登場、今まではギクシャクした動きが時々見られたのだけれど、結い上げた頭に水色の玉かんざしを一つ指して、スムーズに滑らかに舞い始めました。今までと違う、親だからそう思うのかもしれないけれど、彼女のオーラの中で一つの物語を作っている、それは他の方の踊りとはどこか違うのです。着物の世界、舞台の世界、着物をアレンジしてパフォーマンスを作り、モデルを使った新しいスタイリングの作品集も作ったことがある娘は、今は日本舞踊の中に込められた仕草や意味を知ることが面白く、新しい知識となる。そして能の謡を長く続けている叔母の発表会の着付けを何回もやり、能にも馴染みがあって楽屋に出入りしていたこともあるのです。

 本当にいろいろなことがあったけれど、それらのすべては無駄ではなかった、後で聞いたら、能舞台で踊るのは落ち着くと言い、公会堂の舞台の空間では確かに自分を支えるものが見つからないけれど、能舞台の柱や天井や鏡板の松などすべて意味のあるものにしっかり囲まれ、護られて娘はく虚心坦懐に舞を舞う、これは新しい心境なのでしょう。自分の芯が出来、自分の武器ができ、心穏やかに前へ進める、彼女の姿はいろいろなものを教えてくれます。

 

 カチカチカチカチ ファイナルアンサーを答える時です。自分を強くする。自分で考える。自分で作り出す。

 「人間が本当に持っているものは、頭と心の中にある。他は奪われても残るのは、自分が覚えた知識や技能、心温まる人間関係・・そうしたことを大切に生きなさい。」国家が敵だということの恐怖心を持ち、すべてを失い命さえ残ればいいという極限の体験をしてきた数学者のピーターフランクルさんの両親の言葉は限りなく深く響きます。自分が強く悟れば、他の人に手を差し伸べることが出来る。ゲスト達ともっと深く話し合うことができるのです。何かが見えてきています。