南アフリカからのゲスト

 朝一番で家族葬に行かれる方の喪服の着付けをしてから、十時に豊洲のホテルからタクシーで来るゲストを迎えました。今日の夜南アフリカに帰るという彼女は36歳で3歳の男の子を持つシングルマザーですが、デザイナーのお母様のもとで修業してファッションデザイナー兼マネージャーで、今回はビッグサイトで行われた展示会に来たとのこと、忙しいビジネスツアーで観光どころではないようです。黒ずくめのファッションで、髪も黒く長く、着物も黒がいいと言います。かなりふっくらした体型なので、これはもう伝家の宝刀黒の大振袖しかない、何とか前が合うようにと頑張って着せると、大丈夫でほっとしました。二階の和室などでたくさん写真を撮り、ティーセレモニーをするともうお昼を過ぎてしまったので、近所の餅菓子やさんでお赤飯のおにぎりやいなりずし、みたらし団子を買ってきてみんなで食べると、彼女はすべてが初めてのようで、興味津々夫にいろいろ質問しながら美味しそうに食べています。名残惜しいけれど黒振袖を脱がせ、これから浅草橋にビーズを買いに行く彼女に、プレゼントの着物は何がいいかと聞くと、黒地のものというので、黒留袖の入ったボックスを久し振りに開けて見てもらうと、次々広げながらみんな欲しいから売ってくれと懇願されました。古いものは使わないので差し上げたいけれど、比翼の付いた黒留袖は重くて、それを5枚持って行くのは大変だと説明すると、大丈夫だといって、これはママの、これは自分に、そして仕事場のスタッフのためにも必要なようです。

 コロナ前は留袖を着る日本人のお客様がいると予想して、色々な柄を揃えたのですが、コロナ禍の中の結婚式の自粛もあって、自宅から留袖を着る人もいないし、最近は中国人業者が若い女の子に黒留を着せ柴又で傘をさして写真を撮っている姿を見かけるようになり、そういう方面の需要しかないのかと悲しくなっていました。そんな時に、南アフリカのファッションデザイナーがこんなにも夢中になって欲しがる独特の裾模様の付いた黒留袖がアフリカに渡って行ったらいったいどうなるのだろうか、もうこれは未知の世界かもしれないと思い、汚れている比翼を取って少しでも軽くして、刺繍の大きな鳥の付いたもの、カラフルな木が模様となったもの、淡い色の鶴が空に舞っているもの、露芝模様のものを一包みにして着物バッグに入れるともうパンパンです。

 汚れが全くなくて多分高価そうな裾模様のものは結婚式のレンタルとして使えるので、さし上げたくないなと思ったものの、これは私のために欲しい、幾らか?ともうバイヤーの感覚で押してくる彼女の熱意に負けて、それも別に包んで渡しました。時間がないのでそのまま急いで帰る彼女にテーブルの上にあったおにぎりやいなりずしをお菓子も添えて小さなバッグに詰め、大荷物を抱えて帰って行くのを見送りながら、これから14時間かけて南アフリカに帰るバイタリティに圧倒されてしまいました。翌日速攻で来たレビューには、伝統的なローカルフードを御馳走してくれパックに詰めて持ち帰らせてくれたことに感謝しているとあり、ビジネスで日本に来て忙しくしていれば食事や観光などしていられないし、商談をまとめたりアピールすることに長けているらしい銀行にも勤めていた彼女のウィークポイントは家庭的な暖かさなんだなとふと思うのです。

 それからまたメールかあり、30年以上の経験を持つ熟練したファッションデザイナー兼ビジュアルアーティストのお母さんが着物を見てとても喜び、泣きそうになっているというのを読んで、これに触発されて新しいアートが生み出されるかもしれないと思うと不思議な気がするのです。コロナの自粛期間中に留袖を箱にしまいそのまま忘れてしまって、気が付いて久しぶりに開けて見て綺麗だなと感心してフロアに置いておいたのが目に留まり、あっという間にアフリカ行きが決まった5枚の留袖は皆に手に取られ羽織られ、去年フィリピンに渡った沢山の浴衣と同じように、新しい世界で生きて行くのでしょう。私はフィリピンにゆかたを着付けに昨年行ったのですが、今度はアフリカに留袖を着付けに行く機会があるかもしれない、いやそんなことは無いだろうけれど、今年の暮れにもう一度日本に来ると言っていたから、また会えるかもしれません。メールの最後に、自分へのレビューをかいてほしいとありました。これも初めてのことです。何だか新しい展開になっていきそうな予感がします。やってみましょう。