"生きる”

 このところ、波乱万丈の日々が続きます。南アフリカの次はボストンからのカップルで、当日カンザスから30代の女性一人が追加で予約してきました。とても暑い日でまだ袷は着せられないと思っている時に、ボストンのカップルが30分遅れると連絡があり、カンザスの女性はグーグルで調べるとうちの住所が出てこないと言ってきて、秋葉原にいるというのでとにかく京成高砂まで来て、私の説明をよく読んで欲しいと連絡したのだけれど、駅に着いたとメールが来て、しばらくすると線路向こうの遠いパナソニックのお店の前に居るというのです。夫が自転車で迎えに行き、入れ違いでうちの玄関の前に現れたのはロングヘアの大柄な女性で、ある団体でカウンセリングをしているそうですが、凄い方向音痴で、かつとても速足です。遅れてボストンカップルが登場、年上の40代の女性はタレントの友近に似ていてシニカルでクール、6歳年下のコロンビア出身の小柄な黒髪のイケメン男子君は無口でクールです。

 時間がかなり押しているので、とりあえず袷の着物を着せ、写真を撮りティーセレモニーをしてから、単衣に着替えて4時頃柴又に着きました。庭園は閉まっているのでお寺を散策し、写真を撮って、帰り道お団子や漬物を買い、コンビニで好きなおつまみとビールや酎ハイを買って帰ってきました。わりと静かなゲスト達で、盛り上がりに欠けるのですが、カウンセリングをしている女性は話し上手で無口なコロンビア君と待ち時間ずっと話しているので、これは最後に酒盛りをして心のたがを外すのが一番いいと、長年の経験で解るし、暑くて空腹だというのもわかるので、おにぎりやソーセージを選んでコンビニの籠に入れてくれて私はほっとしていました。

 お寺でお線香の煙を体にかけながら願い事をすると説明し、コロンビア君に願いは?と聞くと「リタイアしたい」と妙なことを言うのが心に残りました。カップルだけれどクールで、2週間の日本旅行は初めは彼のリクエストで北海道の温泉に行き、大浴場でのんびり浸かり美味しい食事を食べて楽しかったそうで、この着物体験は彼女の希望のです。コロンビア君にとって着物を着ることは面白くないかもしれないのですが、酒が強くビールを飲みながら話していると芸術肌で、好きな画家はゴーギャン、学生時代はフィルムアートに魅かれていた彼の好きな映画監督は黒澤明、心に一番残る映画は志村喬主演の”生きる”だと聞いて、私は思わず「あなたは暗いね‼」といってしまいました。夫はたしなめたけれど、彼女は「そうだ、ダークだ」というし、私も暗い性格だから親近感がわくのです。

 それから彼はよく喋り、私がゴッホが好きだというと、ゴーギャンとゴッホは親交があったと説明してくれ、酔いも回ってきてこれまで来たゲストのことなどいろいろな話をしました。カウンセラーの彼女は如才なく話を進め、多弁だけれど職業上の匂いが強くあり、無口で愛想のないボストンの彼女とコロンビア君はぎこちないカップルながら、至極正直な感じがしてくるのです。お土産に女性陣は小紋を選び、コロンビア君には小さいおちょこを2つ上げて、最後思いっきりハグして別れました。

 一期一会の出会い、でも彼らの心の中に入り込み、いろんな感情を共有することが出来るのは本当にありがたく嬉しいことです。翌日はデズニーシーに行き、2週間の旅行を終えたボストン組はとても楽しかったので、帰るのが悲しいというメールを寄越してくれました。正直でまっさらなカップルでした。私の頭の中には、”生きる”の映画の中でブランコに乗っている初老の志村さんの姿が浮かんでくるのだけれど、それがコロンビア君とは結び付かない、人間とは不思議なものだなとつくづく思った一日でした。