あかざ (猗窩座) 

 外国のゲストにとって鬼滅の刃は大人気で、ウガンダに住むレイチェルは勉強しているロンドンで撮影したという、禰津子のコスチュームを付けた写真を見せてくれました。血みどろのおどろおどろしい描写が多いアニメで、私も映画を見に行き号泣してしまったけれど、ジブリを始め日本のアニメはユニークでメッセージ性が強いから好きだというゲスト達に、鬼滅の刃のどこに魅かれるのかどうか聞いてみたいものだといつも思うのです。映画では、煉獄さんが鬼のアカザと戦って破れて死んでしまうのだけれど、鬼になれば永遠に死ななくていいんだぞというアカザに対し、「君とは価値観が違う」と言い返し、「心を燃やせ!」と絶叫して亡くなる姿を思い出していた時に、ふと前の総理が首相に就任した時のインタビューで「私はアカザが好きです」といっていたのを思い出し、強い戦慄を覚えました。

 国のトップが鬼と一緒の価値観であれば、組織も企業もそれに同調するものになる、今のマスコミも新聞もテレビも何でこんなに嘘偽りや妙な偏りを見せているのか、ずっと疑問だったのだけれど、すべて納得がいくのでした。そして今彼ら鬼たちは、ある一線を超えようとしている、生命倫理という精神の核を破ろうとしている、それはもろ刃の剣でいずれは自分の核までも脆く壊れてしまうというのに、もう私たちの乗った列車はブレーキが利かず、ただ突っ走って行くだけ、そして列車の上で鬼との戦いはずっと続いているのです。

 アカザは他の鬼とは違い、自ら志願して鬼になったわけではなく、守りたかった愛する人たちを失ったため、すべてがどうでもよくなって鬼となり、記憶をなくして強さだけを求めるようになったけれど、守るべきものは一つも残っておらず、無意味な殺戮を繰り返してきたのです。一番殺したかったのは自分自身だというアカザは、鬼になった理由が一番不憫で可哀そうだといういえる、しかしそれが人を傷つけ殺め相手国を攻撃し破壊する動機になるのだったら、そういう相手とどんな議論を交わしても一致点は見られないのでしょう。

 もうすぐ選挙です。候補者を罵倒する聴衆の動画も、株価の暴落も、製薬会社の社長の弁明も、なんだか絵空事のようで、私たちはみんな暗闇の中を突進していく列車の座席で眠り込んでいる気がします。悪夢から覚めるのに、炭治郎は自分の首を切って自死することで覚醒しました。とことん覚悟をして自分を見つめ追求し、真実のみを見ていくしかない、炭治郎が鬼に勝てたのは、「透き通る世界」の感覚を手に入れ、それが武器になったというのです。「透き通る世界」「至高の領域」これは力の限りもがいて苦しんだからこそ届いた領域で、それだけの鍛錬を積まなければならない。でもこの時代に私たちが遺すべきもの、表現とは、心情や感情、精神など知覚できないことを知覚できる形にして表に出すことで、それが鬼に勝つ手段となり得るのなら、そのための努力をしている人たちを見つめ、それに鼓舞されて進むしかないのでしょう。自分の武器を磨き、闘い続けること。今は戦時下なのです。