もっとできる

 Sから始まる長い発音できない名前の4人の女性が予約してきました。カップルや家族だと男性も入るので、女性の着付けは2,3人で済むのですが、がちで4人女性を着付けるのは久しぶりです。帯枕やコーリンベルトなど小物も全て4つなければならず、確認しながら長襦袢をどうしようか悩みながら4人の体重や身長を書いた紙を眺めていました。この所長襦袢の衿が全く出なくて、四苦八苦していたら、娘の知り合いから着物の小物を大きな段ボール一杯送っていただき、その中に二部式の長襦袢が沢山入っていたのです。脇をほどいてしまえば、ふっくらしている方でも衿が決まると娘に教えられ使って見ようと思うけれど、外国人の体型は日本人と違って胸の上部が窪みバストがぎゅいんと張り出しているので、とても難しいのです。

 定刻前に食べ物や飲み物を持った一団が現れ、髪の長いアジア系の女性4人に背の高い日本語の達者なアメリカ人の男性が混じり、茫然としている私にお姉ちゃんらしき方が開口一番「ゴミ箱はどこ?」というので慌てて回収し、中に入ってもらいました。アメリカに住むラオス出身の4姉妹が、知り合いの北茨城に住む英語教師のテイラーのところに1週間泊まって初めての日本観光をしていて、今日は3時間かけてやってきたのですが、姉妹4人というのは意外と難しく、テンションが違うと退屈するメンバーもいて、とても微妙なのです。

 次女さんと四女さんは似たタイプで訪問着に白地の帯を締め、選択がとても速いのですが、カジノ?で働いている次女さんは一回決めたものを必ず覆すし、四女さんは体中にTatooをして冷静沈着で無駄口を聞きません。三女さんが一番大変で、赤い振袖を選んだけれどかなりふっくらしていて、二部式を試してもうまくいかず、結局一番大きい豪華な長襦袢を着せて、髪はダウンに下ろし、ちょっと詰まった首筋を隠しました。ラストお姉ちゃんは私と同じ位の身長で細身、紺の菊の訪問着に白地の帯でスナックのママみたいに色っぽく、彼女が着物体験をしたかったとわかり、髪もアップに結い上げ、そのまま柴又の山本亭へ行き、写真をたくさん撮りました。

 四人着付けは久しぶりでかなり疲れ、襟元以外は何とかうまく行ったけれど、お茶体験も仏教説明も何もなく、また三時間かけて帰るので、かなり早くおしまいにしました。十一月はあと一回子連れのゲストが来ますが、十二月はコロナの時のように全く予約が無くて、エアビーのサイトを調べて見ると私の体験は200番目以降に見れるようになっていて、これではゲストが来ないのも当たり前です。新しく加入してきた方々になるべく予約が入るようにとの配慮でしょうが、来年はテナントも入るかもしれないし、そろそろ引き際かもしれません。エアビーのサイトは残しておくけれど、違った方面でのやり方を考えていこうと思っています。

 でもこれは、私の今のやり方がマンネリになっているという戒めだと気が付き、自分自身の内側からもっと特別なものを発していかないといけない、能舞台で日舞を舞った娘がすべての所作に意味があると教えてくれた時に、それを知っていれば着物を着て写真を撮る場合、ポージングはまるで違ってくるだろうし、そこで得た経験・感触というものはとても大事なのだと思うのです。同じことをいつまでもやっていてはいけない、着物を着て新しい体験をすることでこれからの生活やモチベーションが上がって行き、そうやって社会とリンクしていくことで、生きる意味を強く感じていきたい。外国人とたくさんお仕事をするようになって、本来着物が持つべき自信というか価値に気づくようになったし、着物の世界はまだまだ広がっていくだろうと考えると、未来は明るいのです。

 自分自身が喜びをもって自分を磨き続けてくことが大事で、人間は魂を磨くために生れてきたのだから、自分のやっていることを通して人々にそういうものを感じてもらえるようにするのが私たちの仕事だというバレリーナの森下洋子さんの言葉が身に染みます。大震災も、その出来事をくぐり抜けて生きた場合、その出来事にどういう意味を見出していくかということ、自分で選んで自分で意味を創っていくのが人間のできることだというのです。何かを作り出そうと努力することは、作り出すことがその人の性<さが>であり、生きて行くアイデンティティであって、でもその作品を見ることにより救われる人がたくさんいるし、その人の考え方や想いが与える影響力も強いのです。生きづらいこの世の中をいかにして生きて行くか。これからも続くであろう様々な困難の中で生きる希望はどこにあるのか。それは何かを目指して、前に進もうとする原動力を持つか否かだと思う。皆と同じように生きられなくて苦しんでいる時は、先も見えなくて、自分だけ取り残されてしまう恐怖しかなかったけれど、でも今は自分の前の道を開いていけば次の人も進んで行けるとわかります。一番大事なのは自分の中にどれだけの抽斗や積み重ねがあるかということだけれど、でも頭の中に、心の中に、沸々と湧き続ける感情があり、思いがあり、外に出たがっているのだからその方法を考え続け、紡ぎ続ければいいのです。

 まだまだやれることがある。どんな状況にあっても、やりたいことがある、頑張ろうと思います。