終わりの始まり

 いつまでも暑いなと嘆いていたら、突然凍り付くような寒さがやってきました。家の中でも重ね着をし、それでも寒くて防寒着を羽織って台所に立っています。先だっても急に寒くなった時があり、突然便秘して古傷が痛み20年ぶりに肛門科へ行ったのですが、今回の寒さでは白目が充血してしまい、眼科に行かなくてはなりません。仕事どころではないなと思いながら昨日は朝七時半から診察している肛門科へラストチェックに行き、雨が降ってきたのに傘を持たずに来たことを看護師さんに言ったら、すぐキレイな傘を貸してくださり、温かい言葉を掛けて下さったことに感激しました。

 整骨院をしていた頃も、エアビーの仕事をしている時も、傘を当たり前のように貸したり差し上げたりしていたけれど、自分が反対の立場になるとこんなにも嬉しいものかとしみじみ思うのです。アインシュタインの名言というサイトがあり、「人の価値はその人が与えるものに宿る。その人が受け取ることが出来るものに宿るのではない。」「道具を持つことよりも大切な事、それは持っている道具を生かすこと。」「人は人を幸せにするために生れてきている」とありました。自分のスキルを持ち、それで人が助かったり喜んだりしてくれることがどんなに自分を幸せにするか、身に染みて感じています。テレビは見ない、新聞も読まない生活をしているので、この所続く選挙や政治に関してのマスコミの騒ぎに気が付かなかったのですが、事実無根の捏造記事を書き続け闇バイトを使ってそれを拡散しようとする動きに眉をひそめていました。でも今回物凄い大きな勢力が鬼の陣地にいて、公然と嘘偽りをまき散らしすべてを狂わせようとしていることが明らかになり、それに反旗を翻し、うねりを起こし勝利を勝ち取っていける人々がたくさんいることがわかったけれど、テレビを朝から晩まで見ていて洗脳されている夫が結果に憤然としている姿を見て、私は呆れて口を利く気にもなれません。

 マスコミ、出版、テレビ、政府、鬼が侵略しているところは炎上している、毒に浸した自分の長い爪でブッダを殺そうとしたダイバタッタが途中で転んでその爪で自分を刺してしまうシーンを思い出します。正しいことを正しく思い正しく行う、当たり前のことをもう教育界でも教えられない、自分の嗅覚を信じて正しく努力していくことをして行けばいい、義父が良く言っていた「トップが誤った判断をすれば船は沈没してしまう、そしてその前に沢山のネズミは逃げ出していく」という言葉を思い出します。子供たちも義父の言葉を時々思い出して法事の時などみんなに言っていますが、この前長女が「真面目ということは悪いことではない」と義父によく言われたといい、仕事場で後輩が「自分は真面目過ぎるのだろうか」と問いかけてきた時に、この言葉で返したと言います。

 鬼の世界は、もう終わりが近づいてきています。夜が明けて朝陽が差し込むと、鬼は死んでしまうのです。終わりが始まっている、でもそれはみんな自分の中の幻想から生まれてきたものなのかもしれません。ひたすら自分を高めよ、すべてを糧にして高い次元を目指します。