12月7日から始まる羽生結弦選手のアイスショー「Echoes of Life」の手引書が昨日届きました。写真入りのパンフレットかと思っていたら、郵便受けに入っていたのが小さい薄い黒い冊子、”わたし”が語る文章が綴られていて度肝を抜かれました。考えていたのと全く違うのです。難しい思考、堅苦しい言葉たち、見えない闇。ジョージ・オーウェルの「1984年」の息詰まった感覚に似ている。カズオ・イシグロの「わたしをさがさないで」村上春樹の小説を読んでいる時の息苦しさと焦燥感と同じなのです。
若い世代はアニメやマンガ、ゲームに深い影響を受けていて、エヴァンゲリオン、進撃の巨人、ガンダム、東京喰種、鬼滅の刃など、重くて暗い主題を持つものが好まれています。鬼滅の刃は映画も見たけれど、感動しつつなぜこんなに残酷でおどろおどろしいものが世界中で人気なのか私にはわからないでいました。でも世界情勢は途轍もなく悪く、気候変動も予測を超えて異常なのに、人心は限りなく乱れ、船を操る立場の人間たちの眼はとうにつぶれ前が見えなくなっている、そんな中で何を指針にして生きて行けばよいか真剣に悩んでいる若い方が日本も外国も増えています。
たくさん届いた林檎を娘に渡すために新宿で会った時、着物関係で活発に働いている29歳の仲間の女の子が「自分というカラーをまだ持っていない」と焦っているという話を聞きました。そういえば一か月前に来た35歳のアメリカの女の子も、彼氏を作るとか結婚するとかでなく、自分のやりたい事を自分のカラーの中でやり抜くことの方が今は大事だとキリキリした態度で語っていたのです。そんな様々な若者の葛藤の成り立ちがいろいろな角度から綴られたこの本は、これから行われる壮大なアイスショーの下書きに過ぎないのでした。
宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」は、彼の黙示録だとプロデューサーの鈴木敏夫さんは言います。黙示録とはギリシャ語で「覆いを外すこと」「打ち明けること」を意味し、壊滅的な状況やこの世の終末などを示す際にも使われるそうです。「世界は膨れ上がっている。予測もつかない大破裂がいつ生じるのか。今、私達が生きるこの社会全体が息を止めてその瞬間を待っているかのようだ。君たちはどう生きるか。それは自分はどう生きるかであり、何を持って観客に向かい合うかである。人生の危機にあって、見たくないものを見据え、跳躍しなければならない。この作品は、楽しく心あたたまる肌触りを求めない。悪感、夢魔、血まみれの世界に耐える勇気こそ描かれなければならない。ものを作る立場として、まだ見もしない世界がそこにある。空想の世界を妄想し、構築するというのはとても孤独な作業だ。孤独であるということを愛することができなければ、空想の世界を作ることはできない。今までの作品よりはるかに遠い所へ、ようやく私たちはスタートの地に立つのだ。」宮崎監督の企画書の文章です。
世界は壊滅的な情況に陥っていて、大国のトップは自国を守るためなら核兵器を使うことも辞さないと宣言している今、私達がしなければならないことは自分の心を深く見つめ、抉り出し、その中に人を救える、先の見えない真っ暗闇の中で指針となり支えとなる光を見出し、その存在を提示することだと考えています。時間はそんなに残されていない。
このタイミングで羽生さんは自分の黙示録を綴り、それを日本の叡知とも呼べるような優れた人々の助けを借りて、まだ見ぬ世界を作り上げようとしている、もはやそれは卑劣な人間たちの能力では解読できない、至高の空間であり、それしか削れて落ちていく足元の裂け目から逃れる術はないのです。破れるもの、滅びるものは落ちていく、容赦ない世界が始まっています。ディストピア、暗黒世界。技術と科学が人間の生活を徹底的に管理し、人間の欲望や自由が操作され、個性を失った人々が幸福を強制的に感じさせられ、薬物によって常に幸福感を保たれ、社会全体が効率性と安全性の名のもとに個人の意志を抑えつけられているということを描いた文学があることを知りました。五感で愉しむ感覚映画はじめ娯楽があふれ、自分で何かを考える瞬間は存在しない。そもそも独りきりの時間が不健康とされ、独りよがりな人間がいれば「ヤバいやつ」と感じるような条件付け教育がなされている。
私はまぎれもなくその「ヤバいやつ」でした。なんとかかんとか生きてきて、今外国人に着物を着せて日本文化を味わてもらうということを何百回もやって見えてきたことが沢山あります。それらの素材をどうしようかと考えている時に、この羽生さんの本が届きました。彼を応援し、共感している人々は世界中に、日本中にたくさんいます。
共に生きていく価値観とか、物事の本質に向き合い、原点から考え、そして考え抜いて戦うことができ、文化を感じられる感性を持ち、答えを出すだけではなく、問いは何かを考えていくことが今一番重要なのだと思います。